生きることにおける理論と実践

日常生活が下手すぎる人間が、いろんなコンテンツを摂取しながら、生きることについて考えては実践し、実践しては考えるブログ。迷いながらも少しずつ進めたらいいね。

うつになったこととそれを少し抜けたこと

 2018年3月末に、私は心療内科を受診した。そこからしばらくはうつで、4月途中には躁転したような感覚があり、4月末から5月にかけてまたズドーンと落ちてうつになった。それからは、少しずつよくはなっていたのかもしれないけど、なんだかんだずっとうつが続いている感じがあった。
 しかし、10月4日(木)に、明確に「うつをちょっと抜けたな」という感覚を味わった。夜、塾で小論文講師の仕事をしていた時に、以前よりも活字が読める感覚を得て、半年近く失われていた日本語の手触りが自分に少し取り戻されてきた気がしたのである。
 そこで、そんな今、うつの間どんな感覚を味わっていたのか、何がどう大変でそれにどう対処してきたのかを記録しておきたいと思い、このブログを書いている。

急性期

 うつの急性期にとにかく大変だったのは、私の場合、動悸だった。4月末に至っては、とても好きなアーティストのライブに行ったにもかかわらず、開演前からずっと動悸がしていて、終わった後はヘロヘロで夕飯にもほぼ口をつけられない状態だった。その次の日(5月1日)から倒れ込んで、ひたすら動悸に耐えていた。
 動悸がしている時は、基本的に横になっているしかない(というかそれ以外にできることがない)のだけど、横になっていても動悸は続くし、頑張って寝ようとしても悪夢を見たり、謎のフラッシュバックに襲われたりと、もうどうしようもない。あと私の場合、なぜか特定の音楽が頭の中でずっと回ってしまって、それにも悩まされた。いくら好きな音楽でも、永遠に頭の中で回っていると邪魔だし、辛いし、嫌いになりそうになってしまう。起きていても地獄、寝ていても地獄という感じだ。もちろん、ただ横になっているしかないので、「何もできていない」「やるべきことをできていない」という罪悪感にも襲われる。すべてがミックスされて、ただただ「死にたい」「消えたい」という感覚しか抱けない。それ以外の感覚や感情が滑り込む余地がないのだ。とにかく息をし続けることで精一杯だった。息をし続けていればとりあえず生き延びられるからそれだけはどうにか頑張ろうと、おぼろげながら思っていた。

 この急性期にやれたことは、正直ほとんど何もない。一人でただ家にぽつんと佇んでいると死んでしまいそうだったので、とにかく気を紛らわせないとと思い、連絡できそうな友人に連絡した。電話して少し話を聞いてもらったりもした。連絡したある友人が「散歩するのがいいよ」と教えてくれたので、家の近所のコンビニまで行ってコーヒーを買って帰ったりした。うつの特に急性期は「家から出る」という行為自体がものすごくハードルが高いのだが、それを乗り越えて、部屋着すっぴんのままでいいからとどうにか外に出てみると、少し歩いただけで不思議なことに自然と涙が出てきた。ちょうど桜が開花している季節で、桜の木を眺めながらボーッとしたりしてみた。これは、家の中にいるよりは幾分かましだった。
しかし、家に戻ると結局また動悸がしてきてしまう。一人で気を紛らわせようにも、活字はおろか、動画すら見られない状況だったので、何もしようがない。外部刺激がことごとくダメだった。

 

急性期と回復期の間

 数日すると、動悸は少しおさまってきた。でも、やっぱり活字は読めないし,動画も見られない。何がしんどいって、趣味活動ですらほとんどできないことだった。もちろん、研究活動ができないことも辛かったし、罪悪感も強くあった。しかし、研究ができないのはまだ知的な負荷が高い事項だからと納得できるとしても、「趣味」という普段ならば気晴らしになるような事項すらできないということには、非常に戸惑いを覚えた。私はもともとは趣味で生きていると言っても過言ではないぐらいの趣味人間だ。オタクという種別の人たちはみんなそうだと思う。それが、突然、趣味に関する動画も見られなければ、音楽も聞けないし、情報を追いかけるのもしんどいという状態になってしまったのだ。
 変な話なのだが、私の周りのコミュニティや人間関係が趣味に紐づいている部分が大きいせいなのだろうか、この「趣味活動ができない」という事態は、自分が世間から置いていかれていくような感覚を私にもたらした。趣味に関する情報やコンテンツは、ちょっと見ないだけで次々と配信され、溢れかえる。それらを全部見なければいけない義務など本来ないはずなのだが、見られていない動画や追えていない情報があるだけでなんとなく不安になってきてしまう。しかし、かといってそれらを追える気力は今ない。
 なぜ趣味活動すらできなくなってしまったのかと言えば、それはエネルギーの総量が非常に低い状態になってしまっていたからだ。うつというのは、要はエネルギー値がこれ以上ないくらいに低下することなのではないかと私は思う。そうなると、物理的に動けないのはもちろんのこと、興味や意欲といったものがまるで湧かなくなってしまうのだ。もっと端的に言えば、「感じる」ことができなくなる。「考える」なんてとんでもない、まず「感じ」られないのだ。何かが眼の前で繰り広げられていたとしても、それを自分の感覚で掬い取ることができない。文字通りただ呆然と眺めるだけになってしまう。感情も湧いてこない。喜怒哀楽を忘れてしまった感じだった。
 そんな状態なので、当然のことながら、研究を含めた思考活動も全然できなかった。そもそも日本語がちゃんと読める感じがなかった。活字を読もうとしても、文字が文字として認識されず、ブロックの塊のようにしか見えないのだ。とにかく日本語が自分から離れて行ってしまった感じがして、とても怖かった。日本語を自由に扱えない感じがあった。このまま一生日本語をうまく扱えない感じのままだったらどうしようかと思っていた。
 そのほか、この時期に辛かったのは、やはり物理的に動けないことだった。とにかく体力の衰えを感じたが、今考えてみればそれは体力が落ちていたのではなく、エネルギー量全体が落ちていたからただ動けなかっただけなのかもしれない。具体的には、まず電車に乗るのが辛い。ホームにいるだけでふらふらするし、電車がホームに進入してきた時にはほんの一瞬「今飛び込んだらすべてが解消されるのではないか」などと考えてしまうし、たとえ座れたとしてもまとまった時間電車の横揺れを経験すること自体が体にとって非常に負荷になっていた。
 そんなわけで、この時期は、最低限の予定(大学院ゼミなど)と最低限のタスク(学会発表などの予定がちょこちょこあったので)をどうにかこうにか這いながらこなす以外は、基本的に家で横になっていることが多かった。この頃になると、「今は休むしかないんだ」という諦めがついてきたのか、わりと寝られることが増えた。寝られない時や辛い電車の中では、友人に教えてもらったごく単純なパズルゲームをして気を紛らわせていた。それから、活字が読めない中でも漫画『ドラえもん』『オバケのQ太郎』ならどうにか読めるようになってきたので、藤子・F・不二雄作品を時々読んだり(眺めたり、のほうが近いかもしれない)していた。

回復期

 7月頃から、少しずつ、会える人には会っていこうと思うようになった。今思えば、この時点で意欲が少し戻っていたのかもしれない。まだ、まったく体が動かない日もあったので、予定を入れるのは怖かったが、予定を入れないといつまでも人に会えないので、少しずつ入れてみることにした。すると、楽しいひと時を過ごせた時もあれば、疲れてしまった時もあり、やはりまだまだ十全に予定をこなすのは難しいんだなということがわかってきた。
 家にいる時も、家族が何かしらで外に出る時(ご飯食べる、買い物に行くなど)には、なるべく一緒について行くようにし始めた。そうすれば気も紛れるし、体を動かすことになるのでリハビリにもなると思ったからだ。この作戦は功を奏したように思う。結果的に、うつになる前の死ぬほど忙しくしていた時期にはできていなかった「家族とコミュニケーションをとる」ということができるようになってきて、そのこと自体はよかった。
 それでも、家にいる時間の大半は寝ているか横になっていた。この頃には、もうそのことについては割り切れるようになっていた。とは言っても学会発表やシンポジウム登壇に向けた準備があったので、一日の中で30分でも1時間でも作業できたら、それで花まるということにしてしまっていた。あとは寝ていてもいいのだ、それが今は自分の勤めなのだと自分に言い聞かせていた。

 

うつを少し抜けたこと

 なぜ、10月4日に突然うつから少し抜けた感覚を抱いたのかは、まったくわからない。どうしたらよくなるのだろう、なぜ全然よくならないのだろうとずっと考えていたが、今の結論としては「よくなる時はよくなるもののようだ」としか言えない。
 まあ、通院を続けて、カウンセリングと服薬(途中までエビリファイだったが、途中から新薬のレキサルティに変えた)を重ねたことは、結果的にはよかったのかもしれない。でも、正直、それが直接的に役立ったという感覚はない。
 むしろ、家にいる時間の大半は寝ていてもよいと割り切って、「休む」「何もしない」ことをある程度できるようになったのが一番よかったのかもしれないと思う。うつの薬は休養だというが、これは本当にそうなんだなとこの半年で実感した。正直、休養していても焦るばかりではあるのだが、なるべく焦りをなくして、「今は休養することが仕事なのだ」ぐらいの気持ちで休養することが、長期的な回復につながるようだ。

 少しよくなった感覚を得たとはいえ、まだこれからもよくなったり悪くなったりを繰り返すのだろうなと思っている。実際今も、10月4日に元気になったと感じた時よりは元気じゃなくなっている気がする。
 それでも、どうにかこうにか希望を失わずに、なるべくエネルギー量の起伏が少ない状態で穏やかに生きていけたらと願っている。

今年の総括 2017

 昔は毎年「今年の総括」という記事をブログ(昔の)に上げていたのです。そこで、今年は総括記事を久しぶりにちゃんとブログにまとめておきたいと思ったので、2017年を振り返って書きます。やたら長い記事になってしまいましたが、よかったらお付き合いください。

 

 

はじめに

 正直なところ、自分の現在の心持ちとしては、「申し訳なさと不全感」が強くある。なんだかバタバタと毎日が過ぎてしまった。その結果、結局何も成し遂げられなかったのではないか、ただ起きてご飯食べて風呂に入って寝て毎日を過ごしただけだったのではないか、という不安が拭えない。

 

 今年は、一言で言うと「無理し続けた年」だった。「無理に無理を重ねた年」。とっくに破綻しているところに、さらに無理に無理を積み重ねた。「倒れそうなところをどうにか倒れてしまわないようにしながらどうにか生きている」感じだった。それで、実際何度か大きく体調を崩した。でも入院するようなレベルの変調はなくて、ただそれは本当に「かろうじて」だったと思っている。

 なにが「無理」だったのかと考えてみると、いまだにあまり減らせていない予定の数々の合間を縫って、降ってくるタスクや自分で作ってしまったタスクを締切日までにこなすということが「無理」だったのだと思う。これは要改善。何年も改善したいと思いつつ、何年もできてないけど…。
11月ぐらいから導入し始めたスケジュール管理のためのタイムテーブル表は結構うまくいってるので、ちゃんとこれで管理して、「休み(=特に予定もタスクもなくて、何をしてもしなくてもいい日)」を確保したい。

 

 だけど、多分、今年やり遂げられたこともきっとある。というか、ないと関係各所に申し訳が立たない。そんなわけで、ポツポツと、今年何ができて何ができなかったのか、どんな年だったのか、書いてみたいと思う。

 

できなかったこと

できなかったこと1: インプットや思考の熟成

 今年一番の反省は、(アウトプットはある程度できたけど)インプットや思考の熟成ができなかったこと。「書を読む」ようなタイプの地道な活字インプットがあまりできなかったという悔いと不全感がある。そんな状態なので、研究も、特に「論文を書く」という意味ではあまり進まなかった。インタビュー調査自体は以前よりも進められたと思うけど、インタビューして得られたナラティヴにじっくり向き合うことができなかった。

 来年はもっとじっくりインプットと思考を深めて、その熟成された結果をアウトプットできる年にシフトしたい。博士論文計画書も出さなきゃだし。

 

できなかったこと2: 「休む」時間の確保

 「休む」時間を確保することもできなかった。「休む」時間を確保したかったのは、自分に余裕をつくりたかったからだ。そのために、今年掲げた一番大きなスケールの目標は、「自分にとって大事なひと・もの・ことを自分で選びとって、大事にする」というものだった。私の見立てでは、これをやれば、自然と「選択と集中」が行われて、今までよりも時間や心の「余裕」ができて、「休み」を確保できると思っていた。

 「ひと」と「もの」に関しては、まだまだ足りないながらも、ある程度は取捨選択できたと思う。でも、「こと」については、やっぱり興味を惹かれる「こと」が多すぎて、絞りきれなかった。選択しきれなかった。なんなら、また新しく興味を惹かれることもたくさん増えてしまった気もする。しかも、そういうふうに新しく興味を惹かれることが増えたにもかかわらず、「自分でイベントを開催する・場づくりをする」ことも始めてしまった。それが、今年のバタバタとした毎日を作り出してしまったのかもしれない。

 でも、じゃあどうしたらうまい具合に、興味を持つ「こと」を絞れるのかは、やっぱり何年経ってもよくわからないままだ。「知りたい」と思ってしまう感情そのものは防げないから、「知りたい」と思った時にどこまでの「深度」で「知る」のか、その有限性の範囲を細かく設定することで、どうにかするしかないのかなあ。

 このままだと2018年もバタバタすることになりかねないので、この点についてはアイディアを大募集してます。

 

できたこと 

できたこと1:  イベントの主催

 自分主催のイベントをたくさん開催した。さっきも書いたけど、「やってみたいことを思いついたら、とりあえず手と足を動かして実現させてみる」という意味でのアウトプットは、かなりできた。そういう意味では、今年はフットワークが軽かったと思う。

 「活動やイベントは個人単位でもできる」というのが、私のテーマの一つにある。よく、活動は集団や組織に入らないとできないと思い込む人がいるけど、私はそうじゃないと思ってる。やりたいことさえちゃんとあれば、極論一人でもイベントは開催できる。もしくは、やりたいことのヴィジョンが一致した相手と、その時々で手を組んで、イベントを共催することだってあっていい。やりたいことの規模が大きくなって手が足りなくなってきたら、その時に初めて組織化を考えればいい。大きな組織に入っていないと社会活動はできない、イベントも作れないという認識を壊したい気持ちはずっとあって、今年はそれを実践した年だったようにも思う。

 

 今年の私はほとんど「イベント屋」だったし、そう呼ばれた。たくさんのイベントを自分主催で開催した。今まで自分がイベントに参加者側としてたくさん参加してきたことによる、イベント運営に関する実践知の蓄積が、ここにきて生かされたような気もしている。その意味では、今までのイベント参加体験の集大成とも言える。

 具体的には、4月に「レロ会」、5月にTokyo Rainbow PrideのRainbow Weekの一環として「アイドル×LGBT=?」、9月に虹色どまんなかパレードのNagoya Rainbow Weekの一環として「アイドル×LGBT=? in Nagoya」、10月に「アラサーレズ(便宜上)の会」を主催した。

 特に「レロ会」は、私のここまでの人生の集大成だった。レロ会は、「レロの誕生日を祝うという建前で、人々が交流するオフ会」と公言していた。いわゆる誕生日オフ会である。最終的に、126人も来てくれた。これは本当に財産だと思う。首都圏からだけじゃなくて、長野とか群馬とか愛知とか三重とか広島とかからもわざわざこのためだけに来てくれた人がたくさんいた。ある参加者が、「レロさんの脳内を具現化したような空間だった」と言ってくれたのだけど、その通りだったかもしれない。さまざまなクラスタが来てくれた。そしてクラスタを超えたつながりも生まれた。もともとずっと、「人と人とをつなげる」ことをライフワークにして生きてる人間だったから、自分を軸として人が集まるオフ会を実現できたことは、本当に嬉しかった。「誰が来てもいい」という点のみに徹底的にこだわった。

 これらのイベントを通して、〈場づくり〉についてたくさんの経験ができた。自分なりのノウハウというか、押さえるべきポイントなどもわかってきた。とにかくまずは、誰に(どの層に)リーチしたいのか、そしてどんな性質の場を創りたいのか・場の目標は何なのかを、具体的なイメージが湧くまでしっかり考えることが、私のイベント作りの要だなと思う。

 

 話が少しずれるが、私のイベントは、概ね、半年前ぐらいに構想が練られ始める。4〜5ヶ月前には準備に取り掛かる。準備を始めるたびに、いろんな人に「ずいぶん先の話だね…」と言われてきた。もっと短い時間でもいいものを作れる人はいるのだと思う。でも、私はまず日々がバタバタしていてなかなか腰を据えてイベント準備だけに取り組むことができない。だからこそ、余裕を持った日程設定にして、ラップを細かく切って、日々ちょっとずつ準備を進める必要があった。でも、そのおかげで、長い期間準備している間には細かな心配事も思いつき、それをクリアするよう心がけたので、運営上のうっかりミスみたいなものはかなり防げたように思う。もちろん、全方位に対して完璧に配慮された運営などができたとは思っていないけど、反省点は次にイベントをやる時に活かすしかない。

 

 来年(2018年)は、博士論文計画書提出などもあるので、イベントに関してはペースダウンすると思うけど、今後もまたやりたいことが思いついた時には、できる範囲でイベントを開催していきたい。アイディア募集中。

 とりあえず、2021年(私が30歳になる年)にはまたレロ会をやるので、みなさんぜひご参加ください!(宣伝) 次はさらにさまざまな人に来てもらえたらいいな、と思う。参加者有志にいろんなコーナーを受け持ってもらって、コンテンツの紹介をしあうのも楽しそうだなと思ってる。

 

できたこと2: 月1の名古屋遠征

 いろんな縁があって、いつの間にか、名古屋にたくさん行くようになっていた。今では、だいたい月に1回のペースで名古屋に遠征している。

 

 一つ大きかったのは、名古屋あおぞら部との出会いだ。あおぞら部は、名古屋のコミュニティセンターなどで、お昼に、お菓子を食べながらお話する会。高校生や若年層も気軽に来れること、LGBT当事者のみならずセクシュアルマイノリティについて知りたい・考えたい人も来られることが特徴だ。きっかけは、名古屋あおぞら部部長のりぃなさんが、5月に東京でやった「アイドル×LGBT=?」のイベントに来てくれたこと。そこで、「そういえば、名古屋には友達もたくさんいるのに、名古屋のLGBTコミュニティって行ったことなかったな」と思い、思わず「あおぞら部行くね!」と宣言した。そこから、名古屋のLGBTコミュニティとのネットワーキングが始まった。

 それから、実はそれとは別に、しばらく前のTRPでNSM=(名古屋のLGBTアイドル)と知り合っていた。そんな縁もあって、名古屋のレインボーパレードである「虹色どまんなかパレード」(通称虹パレ)に、親友氏と初参加した。

 初参加しただけでなく、虹パレとタイアップしたNagoya Rainbow Weekのイベント期間中に、「アイドル×LGBT=? in Nagoya」を開催することができた。あおぞら部部長のりぃなさんと共催し、ゲストにNSM=のみなさんを呼んで、レロ×りぃな×NSM=でトークセッションすることもできた。さらに、そこに、今までSKE48のヲタク活動で出会った人たちもたくさん来てくれた。いろんなクラスタが一堂に介して、全部がゆるやかにつながっていくことを感じた。幸せだった。

 

 さらに、名古屋のメイドカフェ・コンセプトカフェ界隈との出会いもあった。「名古屋ロングスカートメイド喫茶」という企画が11月3日〜5日に東京で行われ、そこに名古屋のいくつかのメイドカフェからメイドさんがいらして、お給仕してくださった。経営者の方もいらして、色々とお話ができた。それ以来、名古屋に行くたびに、コンセプトカフェにも少しずつ寄るようになった。また、それとは別に、夏頃に友人と「王立アフィリアダイニング」を訪ねた。それ以来アフィリアにも時々行くようになった。研究の意味でも(私の現在の研究テーマはメイドカフェ社会学です)、名古屋のメイドカフェ・コンセプトカフェ界隈には秋葉原とは違った特徴もあり、興味深い発見をもたらしてくれた。

 

 そして、もちろん、東海地方に住む友達たちにはこの1年、本当にお世話になった。本当にいろいろな人が、名古屋に行くたびに私に会ってくれたり、ドライブに連れて行ってくれたり、コメダ珈琲で駄弁ってくれたり、バーで飲んでくれたり、泊めてくれたりした。私は全国に友達がいて、そのことはとても幸せだなあといつも思うのだけど、東海の友達は数も多いし、濃度も濃くて、特別な感慨がある。きっと2018年もお世話になると思います。よろしくお願いします。

 

できたこと3: 東京ディズニーランドホテルがついに家になった

 私は、特定のお店に通って関係性を作るという営みが、どうも昔から好きだ。今までには、東京ディズニーシーにあるバー「テディ・ルーズヴェルト・ラウンジ」や、担々麺のお店「香家 三田店」で、そうした営みを行ってきた。

 今年は、久しぶりにそういう自分にとってのサードプレイスを発掘した。それは、東京ディズニーランドホテル、特に「ドリーマーズ・ラウンジ」だった。

 

 ドリーマーズ・ラウンジには昔から時々行っていた。ここで有名なメニューは東京ディズニーランドのイベントごとに内容が変わる豪華な「アフタヌーンティーセット」。それも好きだけど、私はたいていいつももっと気軽に、730円でモルゲンタオというお茶(マンゴーフレーバーの緑茶…らしいけどマンゴーっぽさを感じたことはあんまりない)を永遠に飲んでいた。ここのいいところは、同じ種類であれば、お茶とコーヒーのおかわりが無限にできるところ。お湯を継ぎ足すんじゃなくて、茶葉ごと替えてくれる。それで何時間いても、730円。ふかふかの椅子やソファ付き。もう、最高に仕事がはかどる。ミーティングもはかどる。ふつうに友達とおしゃべりするのにも、リラックスしすぎて時間を忘れる。サードプレイスとしてこんなに適格なところは他にあんまりないんじゃないかと思うぐらい。

 今年は、結構頻繁に足を運んだせいか、キャストの皆さんとたくさん顔見知りになった。ケーキセットで新作ケーキが出るたびに、食べては、感想を交換しあった。なぜかほとんど座る人がいない、ドリーマーズ・ラウンジのカウンター席にも座るようになった。ソムリエキャストにカクテルを作ってもらったり、飲んでみたいお酒の話をしたり。「ガリアーノを飲んでみたい」と言ったら、ガリアーノを棚から出して用意してくれていたこともあった。さらに、カウンターでいつものようにキャストさんと話していたら、隣の席に一人で来ている女性ゲストが座って、パークについてのお話しなどをキャストさんとされていたので、どうしても話したくなってしまい、話に参加。そのうち、仲良くなって、名刺交換もさせてもらって、メル友になった。職業も年齢も全然違う、東京ディズニーリゾートでだからこそ起き得た出会い。こうしたたくさんの出会い(と美味しいご飯と紅茶とふかふかの椅子)によって、結果的に、ここに来ると、家と同じような気楽さで、ある意味家よりもリラックスして居られるようになった。

 

 他にも、私が大好きな食材を使った大好きな味付けのレストラン「エッセンス・オブ・スタイリッシュ・キュイジーヌ カンナ」でも、定期的にご飯を食べたり、キャストさんのスペシャルオリジナルカクテルを好みに合わせて作っていただいたりして、非常に素敵な時間を過ごせた。

 

 2018年も定期的に東京ディズニーランドホテルノマドワークしたりキャストさんとおしゃべりしたりしたいと思っている。アフタヌーンティー、是非一緒に食べに行きましょう、みなさん!

 

できたこと4: スターバックスリザーブを活用したコーヒージャーニー

 スターバックスはコーヒープレスサービスをメインに押し出していた20年前ぐらいからずっと好きだったし、スターバックスリザーブという限定店舗のみで希少な豆を使った珈琲を提供するサービスも、時々は利用していた。しかし今年、明確に、スターバックススターバックスリザーブのファンになり直した気がする。

 

 とにかく、コーヒーパスポートとともに歩んだ一年だった。新しいコーヒーを飲んでは、コーヒーパスポートにそのコーヒーのシール(は店員さんに言えばもらえるのです。是非)を貼り、ひたすら感想をメモした。いろんなコーヒー豆を飲み比べる、まさに「コーヒージャーニー」だった。
※コーヒーパスポートをご存知ない方へ。無料でもらえる素晴らしい冊子なので、是非お近くのスターバックス店舗で手に入れてください。これ一冊で、スターバックスで売っているコーヒー豆の種類、産地や加工法による味の違い、コーヒーの基本的な淹れ方や楽しみ方、フードペアリングについてなど、大体分かります。

 それから、スターバックスリザーブでは、コーヒー豆ごとに、シールだけではなく、説明カードも作られている。表面はそのコーヒーをイメージしたキーヴィジュアルが描かれており、裏面には名前と産地のみならず、生産者の名前や、どんなふうに生産され加工されてきたのかについての「コーヒーストーリー」が記載されている。この説明カードも毎回飲むたびに集めた。集めすぎてコーヒーパスポートに挟みきれない量になってしまったので、ポストカードホルダーを買ってそこに整理して入れている。

 

 もちろん、スターバックスリザーブバーにもとてもお世話になった。特に東京ミッドタウン店には何度も足を運んだ。スターバックスリザーブバーは、コーヒープレス、クローバー、プアオーバー(ハンドドリップ)、サイフォン、エスプレッソと多彩な抽出方法を選んで、リザーブの希少な豆を楽しめる場所である。それから、リザーブ豆をエスプレッソ抽出したものを使って、キャラメルフォームマキアートやエスプレッソトニック、ホームメイドバニララテなんかも作ってくれる。さらに、ナイトロコールドブリューコーヒーと言って、窒素を入れてクリーミーになった水出しコーヒー(ビールのような見た目)も、リザーブの豆で淹れてくれる。

 リザーブバーで何よりも楽しいのは、カウンターでのブラックエプロンのPTRさん(店員さん)たちとの会話だ。「この豆を飲みたいんですけど、どの抽出方法だとどんな味になりますか?」「今こんな気分なんですけど、どの豆がおすすめですか?」など、「コーヒー豆と抽出方法を選ぶ」という行為を皮切りにいろいろな話を繰り広げることができる。

 また、同じコーヒー豆を違う抽出方法で2つ同時に頼んで飲み比べるのも楽しい。友達と一緒に行った時など、是非試してみてほしい。PTRさんに言うと、ちゃんと飲み比べ用に半分ずつカップに分けて注いでくれたりもする。意外なほどに味が違って、びっくりすること請け合い。

 スターバックスリザーブバーは、「コーヒー体験」をコンセプトにしたテーマパークのようでもあると思っている。コーヒーが飲める人は誰でも、是非一度騙されたと思って行ってみてほしい。さまざまな豆と抽出方法が用意されているから、どんな人にも満足してもらえると思う。初心者にも、PTRさんがすごく丁寧に説明してくれるので、実は初心者にこそおすすめ。

 

できたこと5: 各種コンテンツへの入門

 今年、Aqoursアイドルマスター ミリオンライブ!TrySailPerfumeなどさまざまなコンテンツに入門し始めることができた。この数年、バタバタしすぎていて、新しいコンテンツに触れることがまったくままならなかったから、本当に嬉しかった…。

 これは、ひとえに人々の布教力のおかげである。本当に、皆様の布教力に感謝。例をあげれば、あるコンテンツの楽曲がすべて入ったウォークマンを無期限で貸してくれる人がいたり(しかも「レロへのおすすめプレイリスト」まで作ってあった)、私がTwitterでちょっと興味があると書いたらすぐに「ライブ行きませんか?」「鑑賞会しませんか?」と誘ってくれる方がいたり、あるアーティストの全アルバムについて一つ一つ聴きどころ解説の文章を書いてテキストデータで投げつけてきてくれる人がいたり(文字数数えたら2000字以上あった)、とにかく人々の「布教」に対する熱量がすごかった。

 

 私は、コンテンツ入門は、「スパルタ式」が正しいと今は思っている。正しいというか、少なくとも私にはそれが向いてるし、きっと多くの人にとってもそのほうが楽なんじゃないかと思う。どういうことかというと、私の場合、今までは、それまでに発売されたCDやDVD/BD、放送されたアニメなどをすべて観て、現在までのそのコンテンツの文脈を「勉強」(予習)しきってから現場に行こうとしていた。これを今年はやめてみた。というか情報に追いつけなさすぎて、やめざるを得なかったというほうが正しいけど。

 むしろ、まず「現場」に行く。そして「現場」を体感する。「現場」にかじりつこうとする。これは、哲学や社会学の勉強をしようとする時、とりあえずまず「原典」「原著」に当たってみるのがいいという論と似ている、というかほぼ同じだと思う。もちろん、最初に「現場」や「原典」に接触する段階では、ほぼ何もわからないかもしれない。それでも、一回そこで「原体験」を作っておくのは大事だと思っている。わからなくても、何かしら感じることはある。そこで感じたことをもとに、さらに「現場」「原典」を深く味わうために「勉強」をする、という順番のほうが効率的だと思った。「現場」「原典」に触れると、「あまり文脈を知らない状態でも感じられる『良さ』」に出会う。それが、勉強を続ける、若しくは始めるモチベーションになる。ちゃんと勉強して、文脈を知ったら、もっとたくさんの「良さ」が分かるようになる。その快楽のために、私たちは「勉強」するのだ。

 具体的には、ラブライブ!サンシャイン!!の1期アニメだけを観た状態でAqours2ndライブのライブビューイングに行ったり、TrySailのメンバーとキャラが大まかに分かり代表曲をいくつか知ってるぐらいの状態でミュージックレインフェスティバルに行ったりした。そうした「初現場」で衝撃を受けて、勉強に本腰が入り、今ではAqoursファンミーティングのライブビューイングにできる限り全公演行くようになり、TrySailのメンバーの一人である雨宮天さんの2ndソロライブに一人で参戦するようになり、TrySail2ndライブツアーは千葉公演と名古屋公演に行くことが決定した。

 

 コンテンツを好きになると、どうしても時間とお金がかかる。だから、真剣に追うコンテンツはどうしてもたくさんは増やせない。でも、2018年も、時間とお金の制約の中で、できるかぎり気が向くままに惹かれたコンテンツを気軽に見ることができたら、と思っている。別に、「全部のメディアを追わなければファン失格」というわけでもないのだから。

 

できたこと6: 執筆・取材・学会発表

 今年のイベント形式以外でのアウトプットはこれらだった。

 まず、執筆したもの。

  • 劇団雌猫の同人誌『悪友 vol.2 恋愛』に匿名で寄稿した。匿名ではあるけど、私が書く恋愛の話なので、分かる人にはすぐどれが私の文章だかわかってしまったと思う…。今でも通販で買えるので、興味ある方は是非。

    aku-you.booth.pm

  • アジア女性資料センターが刊行している『女たちの21世紀』no.91(特集:メディア・セクハラ)に、笹川あゆみ編著『ジェンダーとわたし―〈違和感〉から社会を読み解く』の書評を寄稿した。
  • 昨年『Rhetorica#03 | SPECIAL FEATURE: FICTION AS NON-FICTION』に寄稿したレビュー「異国のミニチュアとしての東京ディズニーシー」がWeb記事化された。無料で読めるので、よかったらこちらからどうぞ。

    rhetorica.jp

  • 昨年書いた論文が2本査読を通過して、学術雑誌に掲載された。
    • 一つは、『哲学』第138集に掲載された、「フェミニストABRというパフォーマティブな共働─その系譜と展開─」。研究室で取り組んでいる、Arts-Based Research (ABR)という新しいリサーチパラダイムフェミニズムの親和性について考察したもの。以下から無料で読めます。

      koara.lib.keio.ac.jp

    • もう一つは、より自分自身の研究関心に近いところで、『新社会学研究』2号に「フェミニズムを生活者の手に取り戻すために─『性の商品化』に対する現代女性の『気分』の分析を通して」という論文を掲載していただいた。修士論文の一部に大幅な加筆修正を施して再構成したもの。一般書店やAmazonでご購入いただけます。

      新社会学研究 2017年 2号

 次に、取材していただいた媒体。

  • ハフィントンポストからのインタビューを、イベント「アイドル×LGBT=?」を開催する際に、受けた。非常に丁寧に取材していただき、「女性アイドルへの思いでつながるLGBT 『自分の居場所を見つけた』」というタイトルで掲載された。これも無料で読めるので、よかったら是非。

    www.huffingtonpost.jp

  • AERA』2017年6月12日号(特集:LGBTブームの嘘)の「教育 小中学校教員の半数以上が『LGBT知らない』」という記事の中で、コメントを使っていただいた。名古屋あおぞら部に参加していた時に取材していただいたもの。

    publications.asahi.com

 最後に、学会発表。

 2018年は、自分自身のメインの研究であるメイドカフェにおける女性主体の経験について、もっと論文や学会発表の形でアウトプットできるように頑張りたい。

 

できたこと7: 人との付き合い

 今年も、いろんな人と、いろんなことを一緒にした。実は私は、基本的には、一人で何かをするのが好きだ。行動の基本単位が「一人」だし、興味を持てば躊躇なく一人でどこにでも行く。一人で高価格帯のレストランに行ったり、全く知らない現場に行ったりすることも辞さない。でも、大切な人たちと何かを共有することには、またまったく別の意味や楽しみがある。

 

 人との付き合い方に関しては、今年、「会いたくない人になるべく会わない。会いたい人にはできる限り会いにいく。」という目標を立てた。最初の目標はもっと恋愛に寄っていて「フリーの人と出会い直しする(今のところできてない)」だったけど、これは今年遂行するのはわりと積極的に諦めた。フリーかどうかなんかよりも、会いたいか会いたくないか、仲良くなりたいかなりたくないかのほうがずっと大事だ。たとえ、それが「恋愛」には直接的につながらないとしても。

 この目標の達成率は、60%といったところか。少なくとも今までに比べたら、ずいぶんたくさん誘いを断った。それでも、「行かなければよかった」とあとから思った場が0かと言ったら、そうではない。この点は2018年に反省的に活かしていきたい。

 

 それに関連して、こんなプライベートで繊細な話、普段は書かないけど、せっかくの総括記事だし少しだけ書き足しておこうと思うことがある。

 私は、確かに大事な人たちには「時間を作る」けれど、その「大事な人たち」は非常に少ない。もちろん、グラデーションはあるし、幅を広く取ればそれなりの人数はいるかもしれない。でもやっぱり、知り合いの数とかを鑑みて相対的に考えたら、「非常に少ない」と思う。
 そして、私の「大事な人たち」は、基本的に自分から求めてくることをしない人たちだ。だからこそ、(タッチすることがその人にとってその時かえって負担になってしまわないかも含めて)いつでも注視して、必要に応じてアクションを取ったり取らなかったりできるようにしていたい。私の限られたリソースは、そういうことをするためにほとんど使っていたいのだ。

 そのためには、ある程度のリソースを常にどこかに予備として空けて持っておく必要がある。だから、大事な物や事や人をできる限り絞りたい。「人間ヲタク」なので、放っておくとどうしても無限に人に興味を持ってしまう。でも、それでは、本当に大事にしたい人を大事にできないことに気付いた。だから、突然の知らない人からのDMやいわゆる「クソリプ」に返信しない自分になりたい。

 

 あと、今年一個気付いたことがある。それは、私は自分から人と距離を詰めるのは好き(とはいえ、めちゃくちゃに人を選ぶけど)なくせに、人から距離を詰められるのは苦手みたいだということ。というか、人は、人と距離を詰めるということが、多くの場合あまり上手くはないらしい。自戒も込めて。

 だからこそ、数年スパンで付き合っていける友達は本当にありがたい存在だなと思う。1年〜数年かけてゆっくり築いてきた関係性には、独自の尊さがある。この間ある友達と電話していた時に、「レロさんはこの先何十年も付き合っていく相手だと思ってるから」と言ってくれて、泣いた。そんなふうに、ずっと、長く、ゆるやかに人付き合いを続けていける、そういう未来があると互いが思えている相手がいることは、とても幸せなことだと思う。

 今年は、取り戻した縁もあった。というか、今回の場合は私が取り戻したのではなく、向こうが私に会いに来てくれた。謝ってくれて、私も謝った。それぞれに思うところをポツポツと1時間ぐらい話した。Twitterをフォローし合い直した。そして今がある。4年間ぐらい、ああだこうだといろいろあった相手だったけど、そんな相手と今、とても穏やかに話せるようになっていることに、心の底から感謝している。「4年経つと、人はそれぞれに成長したりするし、関係性もどんどん変容していくのだ」「取り戻されるべき縁は、いつの日か取り戻されるものだ」ということを、肌で感じることができた、大きな経験だった。

 それはつまり、今なんらかの事情で距離が離れている人たちとも、大きなスパンで見たら、そうなれる可能性があるということだ。

 関係性はいつだって、揺れ動くし、幅があるし、そのことを恐れてはいけない。むしろきちんと眼差していたい。そうした関係性の「機微」にこそ、人付き合いの本当に肝要な味わいがあるのだから。それは、二者関係でもそうだし、三者関係でもそう。どれだけ「ゆっくり」アセスメントするか。できるか。そして、互いが、互いの関係性の機微を注視して、距離を測りあいながらも、決して「あきらめない」ことが、長く緩やかにずっと付き合っていけるような関係性の創造と獲得に繋がるのだと思う。

 2018年も、自分が本当に大事にしたい相手と、そうした関係性を創っていきたい。新たにもだし、継続的にも。

 

結び

 他にもいろいろあったけど、書ききれないのでここで総括は終わり。

 2018年もTwitter等を通して、みなさんとたくさんお話や意見交換、情報交換をできたらと思います。よいお年をお迎えください。そして、来年もよろしくお願いいたします!

レロ的鎌倉おすすめスポット

最近、鎌倉に旅行しにくる友達がなぜかやたらと多いです。

私の身の回りだけ、ひそかな鎌倉ブームなのかもしれない…。

そんなみなさんに「鎌倉のおすすめスポットを教えて!」と聞かれるので、もうこれはどこかにまとめておいたほうが楽だぞと思い、この記事を書いております。

 

はじめにお断りしておきますが、基本的に私や私の周りの人が行ったことがある場所のみをおすすめしているので、偏りが激しいです。

ここで紹介した場所以外にも、山のように素敵な場所があることは知っています。そもそも、ここで紹介している場所は必ずしも「王道」ではないかもしれません。が、あえてここでは「王道ルート」「王道観光スポット」にとらわれず、私がピンポイントでいいなと思ったところのみを紹介しています。

また、いくつかの場所については、母親や友達から紹介を受けました。ご協力に感謝です。

 

それでは、独断と偏見に基づく鎌倉おすすめスポット紹介をはじめます!

 

〜そうは言っても念のため、鎌倉観光の基礎情報を少しだけ〜
鎌倉でまず押さえるべきは、「鶴ヶ丘八幡宮」です。鎌倉駅東口を出て、左手にひたすら進んでいったところにあります。
そして、鎌倉駅から鶴ヶ丘八幡宮に向かう道が、「小町通り」という通りになっています。この通り沿いや路地には、お店や飲食店がたくさんあります。ここをブラブラするのが、鎌倉散策の基本になると思います。
また、少しはずれには「由比ヶ浜」という海岸があります。夏はたくさんの人で賑わいます。花火大会の会場にもなっている海岸です。
さらにはずれ、江ノ電長谷駅という駅から少し歩いたところに、「鎌倉大仏」があります。少し遠いので、余力があれば。この周辺に銭洗弁天などもあります。
この辺りが王道プランかなあと思います。
他には、少し江ノ島方面に出ると「稲村ヶ崎」「七里ガ浜」などがありますね。

〜目次〜

 

【お寺】

  • 報国寺
    鎌倉にお寺はたくさんありますが、一つだけ見るならここだと思っています。
    その特徴は、とにかく圧倒的に身に迫ってくる「竹林」。本堂でお参りを済ませて、受付で拝観料を払ったら、四方八方にそびえ立つ竹の中を、石畳でできた細い道でかいくぐるようにして進みます。
    竹の中を抜けると、東屋にたどり着きます。東屋では、竹林を眺めながら、お抹茶と落雁をいただくことができます(500円)。最高のロケーションでゆったりとした時間と空間を楽しめるので、報国寺を訪ねたらぜひお抹茶はセットで。この茶屋には一応「休耕庵 竹の庭の茶席」という名前が付いているらしい。
    他に、枯山水式の日本庭園も見ることができます。
    拝観時間は9:00~16:00。抹茶の受付は15:30までです。
    若干アクセスが悪い(浄明寺バス下車・徒歩3分/鎌倉駅からタクシーで7分/鶴岡八幡宮から徒歩20分)のがたまにきずですが、それでも見に行く、身を置きに行くだけの価値がある場所だと思います。散歩がてら歩いて行くのもおすすめ。

    www.houkokuji.or.jp

 

【カフェ・レストラン】

  • スターバックスコーヒー鎌倉御成町店
    日本に14店舗しかない、特別なスターバックス体験ができる「コンセプトストア」。鎌倉にはそのひとつがあります。それがこのスターバックスコーヒー鎌倉御成町店。
    「フクちゃん」で有名な漫画家の故横山隆一氏の自宅を改装して作られた店舗です。それだけあって、店内は広々とした空間設計で、天井も高く、心ゆくまでのんびりすることができます。
    中でも注目は、テラス席横山隆一氏のお気に入りだったプール、藤棚、桜の木などがそのまま残されています。
    さらに、季節ごとに店舗限定のオリジナルスイーツも提供されています。コンセプトストアならではの楽しみ方を、ぜひ。
    一点注意としては、にぎわっている小町通りや鶴ヶ丘八幡宮とは逆側にある点です。つまり、鎌倉駅東口側ではなく、西口側にあります。西口を出て大きな道を少し下ると、紀伊国屋鎌倉店が見えてきます。そのすぐ先です。
    [2017.7.14追記]
    この店舗、希少な豆を提供するスターバックスリザーブ」対象店にもなっていました。
    さらに!日本で初めて、リザーブカウンターを設置した店舗だそうです。スターバックス日本初のプアオーバー(ハンドドリップ)導入店舗もここ。
    ハンドドリップの手つきをバリスタの目の前で眺められます。店舗限定スイーツとリザーブ豆のペアリングも至高。

    www.starbucks.co.jp

 

  • GARDEN HOUSE
    スターバックスコーヒー鎌倉御成町店の隣に位置する、緑あふれるレストラン。
    なぜスターバックスの隣にあるのか。実はここGARDEN HOUSEは横山隆一氏のアトリエを改装して作られたレストランだからです。つまり、スターバックスで一杯コーヒーを楽しんだ後にこちらに移動してくれば、横山隆一氏の自宅 跡地とアトリエ跡地を両方見学することができます。
    外の席が気持ちよくておすすめ。朝9時からオープンしているので、そよ風に吹かれながらのモーニングもできます。
    また、地域密着型で鎌倉の食材をたくさん使っており、なかでも「鎌倉ビール」とのコラボレーションで作られたGARDEN HOUSEオリジナルクラフトビールはビール好きには外せません。

    www.gardenhouse-kamakura.jp

 

  •  レ・ザンジュ 鎌倉本店
    素敵な一軒家カフェ。なんでも、鎌倉の姉妹都市の南仏ニースをモチーフにした建築デザインになっているとか。花々にあふれた中庭も素敵。
    スイーツは通販もしているほど有名だけあって、美味しい。紅茶も、産地から選ぶこだわりよう。
    スターバックスコーヒーとGARDEN HOUSEと同じく、西口側にあります。西口のちょっとはずれのほうにあります。

    www.lesanges.co.jp

 

  • ZELKOVA
    ここからは、小町通り方面のカフェ・レストランをいくつか紹介します。
    ZELKOVAはモーニングにおすすめなカフェ。7:30からオープンしています。
    コーヒーがフレンチプレスで出てくる。テラス席が気持ちいい、とのこと。
    ケヤキの木が目印です。

    www.zelkova-t.com

 

  • 段葛 こ寿々
    友達からの紹介。いつも行く手打ち蕎麦屋さんだそうです。
    わらび餅も美味しいとのこと。わらび餅は通販もしてるみたいですね。

    www.kamakuratoday.com

     
  • イチリンハナレ
    鶴ヶ丘八幡宮から少し外れたところにある、古民家四川料理レストラン。
    築地の人気店「東京チャイニーズ 一凛」の姉妹店とのこと。食べログでもTOP5000入り。
    私はまだ行ったことがないのですが、母親の友達が熱烈に薦めていたようです。
    お値段はそれなりに張りますが、素材から吟味した本格派料理が食べられそう。ランチは3000円からとディナーよりお手頃です。
    イチリン ハナレ

【お店】

  • 鎌倉あめ源
    こちらも友達の紹介。
    あめ屋さんですが、べっこうが断然美味しいとのこと。私もかつてここのべっこうを友達からお土産でもらった記憶があります。
    小町通りの裏に入っていったところにありますが、小町通りの至る所に看板が出ているので、それをたどって行くとわりと容易にたどり着ける模様。

    www.amegen.jp

 

  • 和菓子処 美鈴
    鎌倉一の和菓子屋とも言われている、老舗。
    上生菓子を堪能しましょう。ほかに、羊羹、季節のお菓子も。

    kamakura.uniquely.jp

  • gram
    最近口コミで人気になっている、職人の腕が光る指輪屋さん。
    990円から作れるオーダーメイド指輪は大人気で、土日は整理券がすぐ売り切れることもあるようです。
    しかし、腕は確かで、評判もいいです。友達や恋人とペアリングを作るのにもおすすめ。早起きして行ってみるのもいいかもしれません。

    住所:神奈川県鎌倉市雪ノ下1-5-38こもれび禄岸1F
    電話:0467-24-4232
    営業時間:11:00~18:00
    定休日なし

     

【その他】

 

  • 稲村ヶ崎温泉
    母親がゴリ押ししていたので、おすすめスポット入り。
    鎌倉市唯一の天然温泉であることと、こじんまりとしていながらも雰囲気が非常にいいようです。
    夜の露天風呂が幻想的でよさそう。

    inamuragasaki-onsen.com

 

みなさんも、他に鎌倉のスポットでおすすめがあれば、教えてください。

これは!というものについては、追記してご紹介したいと思います。

今年の抱負なんていう大層なものはすぐに思いつかないので、とりあえず2016年やりたいこと一覧

 

そんなわけで、今年の抱負なんていう大層なものはすぐには思いつかなかった!!! 

ので、2016年にやりたいと思うこと一覧をとりあえず書いときます。ほぼ記録用。

今やりたいと思うことを順不同で書いてるので、実現の可能性とかとりあえず考えてません。

あと全部やりきろうとかも思ってません。どれにフォーカスを絞るのかはあとで考えるとして、まずはやってみたいこと全部書き出した感じ。

2016年が終わる時にここに書いてあることのどれぐらいが達成されてるかな〜1/5ぐらいは達成されてたらいいな〜って感じ。

 

<2016年やりたいこと一覧>

  • はてなブログ書く(今書いてる)

  • アイラインを引けるようになる

  • 上海ディズニーランドができたら行く(2016年春に開園予定延びたみたいだけど、ほんとに春にオープンするのかな…不安)

  • 台湾のLGBTプライドパレード(台灣同志遊行)行きたい。フィールドワークも兼ねて。今年は10月29日らしいよ。 

    台灣同志遊行 :: TAIWAN LGBT Pride

  • プログラミングにまともに手出す。今なぜかJavaPythonかじってる。HTML/CSSは軽く復習して、Rubyとか勉強したい。
    あと勉強するの大変だけど、SwiftiOSアプリ作れるようになりたい願望はある。

  • ライティングの技法を学ぶ、お仕事少しずつもらえるようにしていく。

  • DJやりたい。この数年ずっと言ってる。アイドル曲オンリーDJとか、ディズニー曲オンリーDJとかやりたい。

  • ジャンベをいろんな人と一緒に叩きたい。都内のワークショップに行くとかかしら。

  • 今年はもっとパンツを履く!特にスキニー。でも履き方全然わかんない。

  • ミモレ丈のスカートってやつも履いてみたい。

  • ハイヒール履けるようになる!あの、足の甲が出てるハンプスとか履きたい。ヒールに慣れたい。

  • 結局なかなか社会学の原著を読めてないから、少しずつ読み進めたい。

  • フェミニズムの著作もいろいろ読み直して整理しときたい。

  • いろんなコンテンツに触れたい。特にアニメは名作と呼ばれているものすらほとんど通して見れていないので、今年こそ消化していきたい。
    とりあえずアイマス関連を追いたいなあ。特にデレマスは気になる。Mマスはライビュ楽しかったしゆるく追い続けたい。
    宝塚とか歌舞伎とか、伝統芸能系も触れておきたい。

  • 朝活とかしたい。もともと朝型人間なので、朝型生活に戻れると好都合。中国語朝活とかやるか? それならNHKラジオ語学講座でいい気もするけど…。

  • 中国語もう少しまともに使えるようになりたい。特に会話。まずは単語を増やすことと、実戦練習の回数が必要そう。

  • 英語のブラッシュアップする。これもやっぱり会話メイン。瞬発力と流暢さを養いたい。

  • 料理…もほんとはしたいんだけど、なんか今年そんな余裕なさそうだから来年に先送りか?…って毎年言ってる気はしてる。

  • 部屋を片付けて、推し神棚作る。ってかそもそも何十年も捨ててないものとか機能してない引き出しとか多すぎだから、今年こそそういうのを洗い出して、部屋が機能するようにしたい。

  • バレッタ付けてみたい!黒リボンとかにすごく憧れるから、なんかこう取り入れたい。やり方はよくわかってない。

  • 少し筋肉つけたい。体幹トレーニングでもやるか? 今の筋肉量でこの荷物量で歩いてると永遠に筋肉ほぐれないって、整骨院の先生に言われた…。

  • 東京ディズニーシーのお酒情報のWikiを作りたいってもう何年も言ってるので、これも今年こそ作りたいぞ。シーでお酒飲みたいすべての人々に役立つWikiにしたい。

  • なんかもっといろんな人に会いたいな。特に国籍の違ういろんな人に会ってみたい。国際交流パーティーにでも行くか…? 語学カフェとかでもいいのかも。

  • 今年はいい加減もうちょっとレズビアンバーを開拓したいので、誰かよかったら付き添ってください…。新宿二丁目はなんとなく苦手なままだ〜。

  • 女性若手声優畑の情報を追う。なんとなくだけど、次はその辺りのヲタクができるような気がしてる。わからんけど。秦さん(元SKE48)とか中西さん(元SKE48)の現状も知りたいし。

  • 島根県津和野市で友人たちが町おこし協力してて、楽しそうだしよさそうなので、一度津和野に遊びに行きたい。 

    ツワノシゴト模様

     

こんな感じかなあ。また思いついたら追記して追加でもしよう。

上記のやりたいことたちについて、何かアイディアを持ってる方とか、アドバイスくれる方とかいたら、是非教えてください。それから、一緒にやってみたいことがあるって方も、是非教えてください。

ではまた! 論文執筆に戻ります…。 

(あ、修士論文目下執筆中なので、多分次の更新は2月になります…。出だしからマメじゃなくてすんません…。)

今までのヲタ遍歴と簡単な自己紹介

実質一発目の記事。

まずは、「このブログ書いてる奴はどんな奴やねん?」ってところをかいつまんでご紹介したいと思います。

…が、自己紹介が長くなりがちな人間なので(平均的な人の3倍ぐらい時間とって喋っちゃう迷惑な輩)、ヲタ遍歴を紹介することで自己紹介に代えたいと思います。

ざっくりすぎる? いや、今まで生きてきたなかでヲタクじゃなかった時期がないぐらい、いろんな分野のヲタクをしてきたので、多分これが一番どんな奴かが伝わる…。

 

あ、前提として。

1991年生まれです。誕生日は4月14日なので、現在は24歳。今年4月に25歳になります。

今は大学院生やってます。慶應義塾大学社会学研究科で、ジェンダーとかセクシュアリティとか性現象についての研究をしてます。今年4月に博士課程に進学する予定です修士論文ちゃんと書こうねしっかり書こうねがんばろうね私…言い聞かせ…)

忘れてましたが、ネット上でよく間違えられるので書いておくと、一応女です。性自認も身体 上の性別も女性です(ただ、なぜか「同性は男」っていう感覚があるからややこしくて…これはまたいつかブログ書きますわ)

 

では、ヲタ遍歴一覧を。

 

・1999〜2006年 サンリオピューロランド
コズミックファンタジーとかレジェンド・オブ・シリウスぐらいからのファン。

「夜を楽しまNight!」の常連とも言えないぐらいの常連でした。

「Top the TOP~有頂天なダンスコンテスト〜」で時々踊ってました。

今では知っているダンサーさんもほとんどいなくなってしまいましたが、近年のさまざまなコンテンツとのカオスなコラボとかめっちゃ面白いし、ショーの質は相変わらず高いので、今でも年間パスポートを保持してます。


・2000〜2002年 松原秀行著 「パスワード」シリーズ(「パソコン通信探偵団事件ノート」シリーズ), 講談社青い鳥文庫

当時、熱心なファンによる「パスワードクラブ」というファンサイトがあり、そこの掲示板によく出入りしていました。

「レロ」というハンドルネームは、登場人物のレイ=ネロさんから一文字ずつとってつけたものです。

その後、同じく青い鳥文庫から出ていた、はやみねかおる著「夢水清志郎事件ノート」シリーズ、「怪盗クイーン」シリーズにもハマりました。

当時の小・中学生は結構このあたりの本を読んでた気がします。わかる〜って方、同世代ですね。 

 

・2001〜2016年 東京ディズニーリゾート

特に2003〜2006年が東京ディズニーリゾートの黄金期だったと思ってます。東京ディズニーランド20周年から、東京ディズニーシー5周年までの期間です。この時期が好きな方、まじで語らいましょう。ブレイジング・リズムとリズム・オブ・ワールドは私の青春!!! 今までで一番好きだったショーは、ドラマティック・ディズニーシー2004の「Style!」です。

昔はショー・パレードを地蔵してめっちゃ待って見たりするショーパレヲタでしたが、最近はそれすら辛くなってきて(BBA化)(あとショーのクオリティも下がったと思う…)、「建物・植栽・食べ物・飲み物・バックグラウンドストーリーヲタ」というわけのわからない人種になっております。

まあ要はパークの雰囲気ヲタです。あとウォルト・ディズニーの哲学ヲタ。

ダッフィー商法(ダッフィー自体に罪はない。嫌なのは商法)を前面に押し出し、テーマポートのテーマに関係なくディズニーキャラクターを無差別的に登場させるようになってからの東京ディズニーシーは、相当苦手です。「冒険とイマジネーションの海」っていうコンセプトどこに行ったの!?って思ってます。それでも、東京ディズニーシーの建物と植栽と食べ物とお酒が好きだから、年間パスポートを持ち続けています。

今では、シーに行くと、ぷらぷら散歩して、テディ・ルーズベルト・ラウンジかマゼランズ・ラウンジに入ってお酒飲んで、ホテルミラコスタのベッラヴィスタ・ラウンジでケーキセットとか食べてうだうだして、またパーク戻って散歩する…みたいなことしかほぼしてませんが、気の合いそうな方是非一緒にインパ(死語)しましょう。

基本シーヲタなのでシーのことばっか書いちゃいましたが、ランドも嫌いじゃないです。共通年パなので時々ランドも行きます。イーストサイド・カフェでのんびりするのと、ミニー・オー!ミニーで騒ぐのが好きです。

 

・2006〜2010年 関ジャニ∞

F・T・O、関風ファイティングから、LIFE、8UPPERSぐらいまで、エイターでした。

元々男の人のことはあまり好きにならないので、「男性が嵐好きになる」みたいな感覚で関ジャニ∞のことを好きだったように思います。こう、7人(当時すでに7人だった…)のわちゃわちゃ感が好きでした。絶妙なバランスで成り立っている7人、デビュー前の下積みも長くてある意味幼馴染感のあるような7人の空気感やしゃべりが好きでした。

一番応援していたのは、渋谷すばるさんです。すばるさんのどんどん上手くなるというか安定感を増す歌声、あの小さな身体をうまく使ってライブ会場の空気を制御し適切な間合いで刺さる言葉をポツポツと発する挨拶MC、Johney's Webでのいい具合に気の抜けた文体で本質的なことを書いてくる文章、当時持っていた中性的な雰囲気…。人として尊敬していました。

関ジャニ∞の活動ではありませんが、渋谷すばるさんとFIVEがコラボして行われた「FLAT FIVE FLOWERS」の1stライブは、今までの人生の中で一番楽しかったライブかもしれません。

関ジャニ∞の楽曲で一番好きなのは、CD未収録ですが「Dive」。あの間奏のギターとベースソロは最高にかっこいいです! 同じく未音源化曲の「ヤジルシ↑」もとても好きなのですが、最近は全然披露されない模様。「Knockin'Trackin'」とかも好きだけど…ってこれじゃ全部未音源化曲だわ…。「Do you agree?」は大前提として大好きなのでおいとくね。

CD収録曲で特に好きなのは、「Cool magic city」「Heavenly Psycho」「大阪ロマネスク」「ミセテクレ」「イッツ マイ ソウル」「ローリングコースター」あたりかなあ。順不同。

すばるBANDの曲で一番好きなのはダントツで「Down UP↑」。「遅くたってさぁ前向いて 音に乗っかって全身で その日 瞬間 絶望 希望 飛ぼう!」ってどんだけ勇気もらえる歌詞なの。これも未音源化なのが悔やまれます…。

 

・2010年〜2011年 AKB48

最初誰から入ったのか詳しく覚えてないんだけど、「ヘビーローテーション」ぐらいの時期に社会勉強しようと思っていろいろ動画を見始めて、数週間で指原莉乃、そしてりのりえ(指原莉乃北原里英のコンビ名、CP名)に行き着きました。そこから徐々に北原里英推しにシフトしました。

AKB48はやっぱり、当時なかった「会えるアイドル」というコンセプト、そしてそれに伴うシステムの構築(3チーム制に基づく劇場公演と握手会を主軸としたファンとの交流の場の提供)とキャラ生成が面白くて、まず箱としてハマりました。ただし、ある種の身内感を引きずった感じのグダグダした面白さが成立していたのは「ゆるゆるカラオケ大会」ぐらいまでだったのと、2011年に入ってからの北原里英さんの変化(なんか大学デビュー感あった)に個人的についていけず、姉妹グループであるSKE48のほうに目を向けるようになりました。

劇場公演として一番好きなのは今も昔もA6th「目撃者」公演です。なかでも「美しき者」は当時のチームAにしかできなかったといっても過言ではない、美しくセクシーで残酷な一曲だと思います。一番好きな曲です。

 

・2011年〜2014年 SKE48

はじめは、フォロワーさんに「SKEの百合面白いよ!」と言われて、見てみようと思い始めました。「パレオはエメラルド」前後ぐらいからだったと思います。

そして「二次元同好会」を知り、当時古川愛李中西優香平松可奈子(今書いてて思ったけどこのメンツ全員卒業済みや…)がやっていた「ハピ☆ホリ」というインターネットラジオ番組を知り、古川愛李さんが百合ヲタだということを知りました。

古川愛李さんのすごいなと思ったところは、百合ヲタを公言するだけでなく、自分で、自分と松井玲奈さんとの百合漫画を描いて、それをサイゾーに載せちゃったところです。

www.premiumcyzo.com

アイドルグループのメンバーがメンバーの百合を描くって確かにまあ「タブー」と言えば「タブー」なわけで、衝撃を受けたとともに、「この人面白そうだなあ」「これが許されるSKE48って面白そうだなあ」と思い、古川愛李さんとSKE48にハマっていきました。

その後はずっと、古川愛李さんと、古川愛李さんが所属するチームKIIを応援してきました。古川愛李さんの総選挙応援に携わり、「古川新聞」という新聞をみんなで作って配ったり(それで圏外から30位まで上げられたのはなかなかすごかったと思う)、生誕祭実行委員会の末席に名を連ねさせてもらってディスプレイを作ったり、楽しかったし充実していました。

古川界隈は年齢も性別も職業も本当にいろんな人がいて、みんなどこかしら「変」だけどとってもいい人が多くて、なんだかんだわちゃわちゃ仲良くて、30人規模の飲み会とかを何回もできたり、女ヲタだけの「古川ガールズ会」も実施できて参加させてもらえたこととかは、本当に誇りでした。

 

・2014年〜2016年 @ほぉ〜むカフェ

2014年3月、古川ヲタの高校生に連れてこられて始めて入った「@ほぉ〜むカフェ」。その時は、自分がメイドカフェヲタクになるとは全然予想してませんでした…。

2014年6月にもう一度連れてこられて、そこでみるさんというメイドさんと軽くお話をしてチェキを撮ったところ、「もう少しこの人と話してみたいな」という印象を持ちました。

ちなみにみるさんはこの人。

twitter.com

次の機会に、一人で来てゲームを入れて3分話してみたところ、「ああ、この人は頭がいいし話が通じる人だ…」と感じて、とても嬉しくなりました。そういうメイドさんもいるんだ、と、私の中のメイドカフェのイメージを塗り替える出来事にもなりました。ご本人もよく「メイド界の隙間産業」っておっしゃってますが、そんな人だからこそ、推そうと思えたんだなと思います。

それから、ゆるゆると時々通ってはみるさんとお話したり相談したり(たくさん相談してめっちゃ迷惑かけた自覚がある…)してたのですが、段々とご帰宅頻度が高くなり、みるさんのお給仕がある日はだいたいご帰宅するという感じになりました。

メイドカフェやコンセプトカフェはそれはそれとしてシステムやメイドとご主人様の力学もすごく面白いと思うし、それは論文で書いていきたいことでもあるのですが、私個人が今@に通っている理由はほとんど「推しとの会話が楽しいから」です。「推しにカウンセリングしてもらわないと生きていけないから」ってのもありましたが…。

メイドカフェという場所は、一般的な人が抱くイメージ(メディアによって形成されたイメージ)とその実情とがかなり大きく離れている場所だと思います。もし、行ってみたいと思う方がいらしたら、声をかけていただけたらと思います。是非一緒にご帰宅してみましょう。

 

他にも、小学生の頃に将棋をかじったりプログラミングをかじったり指揮法をかじったりしましたが、まあどれもかじっただけなので割愛。

小学生の時一番まともに没頭したのは英語かな…。小3〜小6で中高の英語文法を学び、英検2級を取った思い出。

あとヲタクまでいかないけどファンぐらいまではいくかなってのは、スターバックスコーヒー。コーヒープレスで豆挽いてホットコーヒー提供されてた頃からのファンです。エキストラホットライトシロップノンホイップフォームミルク乗せがデフォルトの人です。クリームフラペベースのフラペチーノは甘すぎて苦手です。

 

あと、2009年からTwitterをやってます。

これ。

twitter.com

よく、「なんでこんなにフォロワー多いの?」って聞かれるんですが、自分でもよくわかりません。

多分、日本でのTwitter黎明期からTwitterを始めてたのと、アカウントを分けずにこのアカウント一つでいろんなクラスタの人と交流してるからかなあ。

その分、フォロワーさんお一人お一人となかなかきちんとコミュニケーションとれないところは悲しいところなので、今年はちゃんとリスト分けとかして、人とTL上で絡むことをしやすくしたいな〜。

よかったら、フォローなりリストインなりをお願いします。

 

それから、生きるのというか、日常生活をするのがすごく下手です。

具体的に言うと、「考えずに言葉を発して会話する」ってことがどんなことかもよくわからないし、ジーンズとデニムパンツが同じ意味だってことも3日前に知ったし、脚の長さは股の付け根から目視するらしいってことも3日前に知りました。3ヶ月前にようやくポニーテールができるようになりました。

そこで、日常生活を少しずつできるようになったらいいな〜みたいな記事も書くかもしれません。一応それを念頭に置いて、「生きることにおける理論と実践」というブログタイトルをつけました。

 

これでなんとなく自己紹介になっただろうか…。

また記事を更新していくうちに、ああこんな奴なんだなあってわかっていただけると思うので、ひとまずこんな感じで。

よろしくお願いいたします!

Twitterは読み流されるらしいので今更ながらはてブを始めた

※(はてなヲタクの人に対する言い訳)「はてブ」は本来昔から存在するサービス「はてなブックマーク」の略称であり、はてなブログはその前身が「はてなダイアリー」であることから「はてダ」、ないしは「はてブロ」と呼ばれることがはてなヲタクの中では多い、というご指摘をいただきました。

そのあたりの宗教戦争のことは私はよくわかりませんが、はてなヲタクではない一般人は、はてなブログのことを「はてブ」って結構日常的に呼んでる気がするので、ここではその用法を採用しています。

 

私、ずっと長いこと、Twitterのつぶやきって一言一句すべてきちんと読まれてると思ってた。

だけど、どうやら、違ったようだ。

 

Twitterミニブログだと思ってたし、それは定義上は、そして起源上は正しい。

ミニブログが認知されるきっかけとなったのは、2006年7月にサービスを開始したTwitterで、「What are you doing?」(今、何しているの?)という問いに140文字程度で回答していくという趣旨のサイトである。アメリカで急速に普及して話題となり、日本でもブロガーを中心に利用者が拡大していった。

ミニブログとは|マイクロブログ|miniblogging - 意味/解説/説明/定義 : IT用語辞典

だけど、Twitterの使われ方も、ツイートの読まれ方も、この数年でものすごく変わった。少なくとも「ブログのミニ版」ではなくなってきた。

 

特に日本ではこの3年ぐらい、鍵付きの「リア垢」なるものが急激に増えて、Twitterの当初の特徴であった匿名性の高いオープンコミュニケーションという側面は次第に影を潜め、身内とのコミュニケーションツールとしてTwitterを使用する人が段々多くなってきた。

となると、Twitterのツイートで重視されるのは、往々にして、内容や文言の正確さよりも、瞬発力やタイムライン上の文脈に乗っ取ったネタ性。

そういうコミュニケーションも楽しいのだと思うけれど、私はその分野にはめっきり弱い。

そして、そんなツイート群の中でひとり、140文字を目いっぱい使って漢字をいっぱい使った文章を書いてると、めっちゃ浮く。あと、読み流される。

 

…なんかわりと硬い文章になっちった。

まあ、そんなこんながちょっと悲しくなって、今更ながらはてなブログを始めることにしました。

あと、それなりにしっかり考えたことは、自分の思考管理上の問題としても、ツイートに書くよりブログにまとめておいたほうが、あとから見返して参照しやすいしね。

 

今までもブログはいくつかやってきたんですが(Yahoo!とかlivedoorとかAmebaとか)、どれも長続きしなかった。

でも、はてなブログなら、なんか細く長く続けられそうな気がするんです。

今の時代のはてなブログなら、とりあえずツイートをペッて貼り付けて、それに書き切れなかったことをちょっと付け足すぐらいのスタンスでも許されそうだし(ナメてるって怒らないで、それぐらいじゃないと続かなさそうなの!)。

 

そんなわけで、まだ何について書くことが多くなりそうかすら見当つかないですが、よろしくお願い致しますm(_ _)m