生きることにおける理論と実践

日常生活が下手すぎる人間が、いろんなコンテンツを摂取しながら、生きることについて考えては実践し、実践しては考えるブログ。迷いながらも少しずつ進めたらいいね。

うつになったこととそれを少し抜けたこと

 2018年3月末に、私は心療内科を受診した。そこからしばらくはうつで、4月途中には躁転したような感覚があり、4月末から5月にかけてまたズドーンと落ちてうつになった。それからは、少しずつよくはなっていたのかもしれないけど、なんだかんだずっとうつが続いている感じがあった。
 しかし、10月4日(木)に、明確に「うつをちょっと抜けたな」という感覚を味わった。夜、塾で小論文講師の仕事をしていた時に、以前よりも活字が読める感覚を得て、半年近く失われていた日本語の手触りが自分に少し取り戻されてきた気がしたのである。
 そこで、そんな今、うつの間どんな感覚を味わっていたのか、何がどう大変でそれにどう対処してきたのかを記録しておきたいと思い、このブログを書いている。

急性期

 うつの急性期にとにかく大変だったのは、私の場合、動悸だった。4月末に至っては、とても好きなアーティストのライブに行ったにもかかわらず、開演前からずっと動悸がしていて、終わった後はヘロヘロで夕飯にもほぼ口をつけられない状態だった。その次の日(5月1日)から倒れ込んで、ひたすら動悸に耐えていた。
 動悸がしている時は、基本的に横になっているしかない(というかそれ以外にできることがない)のだけど、横になっていても動悸は続くし、頑張って寝ようとしても悪夢を見たり、謎のフラッシュバックに襲われたりと、もうどうしようもない。あと私の場合、なぜか特定の音楽が頭の中でずっと回ってしまって、それにも悩まされた。いくら好きな音楽でも、永遠に頭の中で回っていると邪魔だし、辛いし、嫌いになりそうになってしまう。起きていても地獄、寝ていても地獄という感じだ。もちろん、ただ横になっているしかないので、「何もできていない」「やるべきことをできていない」という罪悪感にも襲われる。すべてがミックスされて、ただただ「死にたい」「消えたい」という感覚しか抱けない。それ以外の感覚や感情が滑り込む余地がないのだ。とにかく息をし続けることで精一杯だった。息をし続けていればとりあえず生き延びられるからそれだけはどうにか頑張ろうと、おぼろげながら思っていた。

 この急性期にやれたことは、正直ほとんど何もない。一人でただ家にぽつんと佇んでいると死んでしまいそうだったので、とにかく気を紛らわせないとと思い、連絡できそうな友人に連絡した。電話して少し話を聞いてもらったりもした。連絡したある友人が「散歩するのがいいよ」と教えてくれたので、家の近所のコンビニまで行ってコーヒーを買って帰ったりした。うつの特に急性期は「家から出る」という行為自体がものすごくハードルが高いのだが、それを乗り越えて、部屋着すっぴんのままでいいからとどうにか外に出てみると、少し歩いただけで不思議なことに自然と涙が出てきた。ちょうど桜が開花している季節で、桜の木を眺めながらボーッとしたりしてみた。これは、家の中にいるよりは幾分かましだった。
しかし、家に戻ると結局また動悸がしてきてしまう。一人で気を紛らわせようにも、活字はおろか、動画すら見られない状況だったので、何もしようがない。外部刺激がことごとくダメだった。

 

急性期と回復期の間

 数日すると、動悸は少しおさまってきた。でも、やっぱり活字は読めないし,動画も見られない。何がしんどいって、趣味活動ですらほとんどできないことだった。もちろん、研究活動ができないことも辛かったし、罪悪感も強くあった。しかし、研究ができないのはまだ知的な負荷が高い事項だからと納得できるとしても、「趣味」という普段ならば気晴らしになるような事項すらできないということには、非常に戸惑いを覚えた。私はもともとは趣味で生きていると言っても過言ではないぐらいの趣味人間だ。オタクという種別の人たちはみんなそうだと思う。それが、突然、趣味に関する動画も見られなければ、音楽も聞けないし、情報を追いかけるのもしんどいという状態になってしまったのだ。
 変な話なのだが、私の周りのコミュニティや人間関係が趣味に紐づいている部分が大きいせいなのだろうか、この「趣味活動ができない」という事態は、自分が世間から置いていかれていくような感覚を私にもたらした。趣味に関する情報やコンテンツは、ちょっと見ないだけで次々と配信され、溢れかえる。それらを全部見なければいけない義務など本来ないはずなのだが、見られていない動画や追えていない情報があるだけでなんとなく不安になってきてしまう。しかし、かといってそれらを追える気力は今ない。
 なぜ趣味活動すらできなくなってしまったのかと言えば、それはエネルギーの総量が非常に低い状態になってしまっていたからだ。うつというのは、要はエネルギー値がこれ以上ないくらいに低下することなのではないかと私は思う。そうなると、物理的に動けないのはもちろんのこと、興味や意欲といったものがまるで湧かなくなってしまうのだ。もっと端的に言えば、「感じる」ことができなくなる。「考える」なんてとんでもない、まず「感じ」られないのだ。何かが眼の前で繰り広げられていたとしても、それを自分の感覚で掬い取ることができない。文字通りただ呆然と眺めるだけになってしまう。感情も湧いてこない。喜怒哀楽を忘れてしまった感じだった。
 そんな状態なので、当然のことながら、研究を含めた思考活動も全然できなかった。そもそも日本語がちゃんと読める感じがなかった。活字を読もうとしても、文字が文字として認識されず、ブロックの塊のようにしか見えないのだ。とにかく日本語が自分から離れて行ってしまった感じがして、とても怖かった。日本語を自由に扱えない感じがあった。このまま一生日本語をうまく扱えない感じのままだったらどうしようかと思っていた。
 そのほか、この時期に辛かったのは、やはり物理的に動けないことだった。とにかく体力の衰えを感じたが、今考えてみればそれは体力が落ちていたのではなく、エネルギー量全体が落ちていたからただ動けなかっただけなのかもしれない。具体的には、まず電車に乗るのが辛い。ホームにいるだけでふらふらするし、電車がホームに進入してきた時にはほんの一瞬「今飛び込んだらすべてが解消されるのではないか」などと考えてしまうし、たとえ座れたとしてもまとまった時間電車の横揺れを経験すること自体が体にとって非常に負荷になっていた。
 そんなわけで、この時期は、最低限の予定(大学院ゼミなど)と最低限のタスク(学会発表などの予定がちょこちょこあったので)をどうにかこうにか這いながらこなす以外は、基本的に家で横になっていることが多かった。この頃になると、「今は休むしかないんだ」という諦めがついてきたのか、わりと寝られることが増えた。寝られない時や辛い電車の中では、友人に教えてもらったごく単純なパズルゲームをして気を紛らわせていた。それから、活字が読めない中でも漫画『ドラえもん』『オバケのQ太郎』ならどうにか読めるようになってきたので、藤子・F・不二雄作品を時々読んだり(眺めたり、のほうが近いかもしれない)していた。

回復期

 7月頃から、少しずつ、会える人には会っていこうと思うようになった。今思えば、この時点で意欲が少し戻っていたのかもしれない。まだ、まったく体が動かない日もあったので、予定を入れるのは怖かったが、予定を入れないといつまでも人に会えないので、少しずつ入れてみることにした。すると、楽しいひと時を過ごせた時もあれば、疲れてしまった時もあり、やはりまだまだ十全に予定をこなすのは難しいんだなということがわかってきた。
 家にいる時も、家族が何かしらで外に出る時(ご飯食べる、買い物に行くなど)には、なるべく一緒について行くようにし始めた。そうすれば気も紛れるし、体を動かすことになるのでリハビリにもなると思ったからだ。この作戦は功を奏したように思う。結果的に、うつになる前の死ぬほど忙しくしていた時期にはできていなかった「家族とコミュニケーションをとる」ということができるようになってきて、そのこと自体はよかった。
 それでも、家にいる時間の大半は寝ているか横になっていた。この頃には、もうそのことについては割り切れるようになっていた。とは言っても学会発表やシンポジウム登壇に向けた準備があったので、一日の中で30分でも1時間でも作業できたら、それで花まるということにしてしまっていた。あとは寝ていてもいいのだ、それが今は自分の勤めなのだと自分に言い聞かせていた。

 

うつを少し抜けたこと

 なぜ、10月4日に突然うつから少し抜けた感覚を抱いたのかは、まったくわからない。どうしたらよくなるのだろう、なぜ全然よくならないのだろうとずっと考えていたが、今の結論としては「よくなる時はよくなるもののようだ」としか言えない。
 まあ、通院を続けて、カウンセリングと服薬(途中までエビリファイだったが、途中から新薬のレキサルティに変えた)を重ねたことは、結果的にはよかったのかもしれない。でも、正直、それが直接的に役立ったという感覚はない。
 むしろ、家にいる時間の大半は寝ていてもよいと割り切って、「休む」「何もしない」ことをある程度できるようになったのが一番よかったのかもしれないと思う。うつの薬は休養だというが、これは本当にそうなんだなとこの半年で実感した。正直、休養していても焦るばかりではあるのだが、なるべく焦りをなくして、「今は休養することが仕事なのだ」ぐらいの気持ちで休養することが、長期的な回復につながるようだ。

 少しよくなった感覚を得たとはいえ、まだこれからもよくなったり悪くなったりを繰り返すのだろうなと思っている。実際今も、10月4日に元気になったと感じた時よりは元気じゃなくなっている気がする。
 それでも、どうにかこうにか希望を失わずに、なるべくエネルギー量の起伏が少ない状態で穏やかに生きていけたらと願っている。