生きることにおける理論と実践

日常生活が下手すぎる人間が、いろんなコンテンツを摂取しながら、生きることについて考えては実践し、実践しては考えるブログ。迷いながらも少しずつ進めたらいいね。

今年の総括 2017

 昔は毎年「今年の総括」という記事をブログ(昔の)に上げていたのです。そこで、今年は総括記事を久しぶりにちゃんとブログにまとめておきたいと思ったので、2017年を振り返って書きます。やたら長い記事になってしまいましたが、よかったらお付き合いください。

 

 

はじめに

 正直なところ、自分の現在の心持ちとしては、「申し訳なさと不全感」が強くある。なんだかバタバタと毎日が過ぎてしまった。その結果、結局何も成し遂げられなかったのではないか、ただ起きてご飯食べて風呂に入って寝て毎日を過ごしただけだったのではないか、という不安が拭えない。

 

 今年は、一言で言うと「無理し続けた年」だった。「無理に無理を重ねた年」。とっくに破綻しているところに、さらに無理に無理を積み重ねた。「倒れそうなところをどうにか倒れてしまわないようにしながらどうにか生きている」感じだった。それで、実際何度か大きく体調を崩した。でも入院するようなレベルの変調はなくて、ただそれは本当に「かろうじて」だったと思っている。

 なにが「無理」だったのかと考えてみると、いまだにあまり減らせていない予定の数々の合間を縫って、降ってくるタスクや自分で作ってしまったタスクを締切日までにこなすということが「無理」だったのだと思う。これは要改善。何年も改善したいと思いつつ、何年もできてないけど…。
11月ぐらいから導入し始めたスケジュール管理のためのタイムテーブル表は結構うまくいってるので、ちゃんとこれで管理して、「休み(=特に予定もタスクもなくて、何をしてもしなくてもいい日)」を確保したい。

 

 だけど、多分、今年やり遂げられたこともきっとある。というか、ないと関係各所に申し訳が立たない。そんなわけで、ポツポツと、今年何ができて何ができなかったのか、どんな年だったのか、書いてみたいと思う。

 

できなかったこと

できなかったこと1: インプットや思考の熟成

 今年一番の反省は、(アウトプットはある程度できたけど)インプットや思考の熟成ができなかったこと。「書を読む」ようなタイプの地道な活字インプットがあまりできなかったという悔いと不全感がある。そんな状態なので、研究も、特に「論文を書く」という意味ではあまり進まなかった。インタビュー調査自体は以前よりも進められたと思うけど、インタビューして得られたナラティヴにじっくり向き合うことができなかった。

 来年はもっとじっくりインプットと思考を深めて、その熟成された結果をアウトプットできる年にシフトしたい。博士論文計画書も出さなきゃだし。

 

できなかったこと2: 「休む」時間の確保

 「休む」時間を確保することもできなかった。「休む」時間を確保したかったのは、自分に余裕をつくりたかったからだ。そのために、今年掲げた一番大きなスケールの目標は、「自分にとって大事なひと・もの・ことを自分で選びとって、大事にする」というものだった。私の見立てでは、これをやれば、自然と「選択と集中」が行われて、今までよりも時間や心の「余裕」ができて、「休み」を確保できると思っていた。

 「ひと」と「もの」に関しては、まだまだ足りないながらも、ある程度は取捨選択できたと思う。でも、「こと」については、やっぱり興味を惹かれる「こと」が多すぎて、絞りきれなかった。選択しきれなかった。なんなら、また新しく興味を惹かれることもたくさん増えてしまった気もする。しかも、そういうふうに新しく興味を惹かれることが増えたにもかかわらず、「自分でイベントを開催する・場づくりをする」ことも始めてしまった。それが、今年のバタバタとした毎日を作り出してしまったのかもしれない。

 でも、じゃあどうしたらうまい具合に、興味を持つ「こと」を絞れるのかは、やっぱり何年経ってもよくわからないままだ。「知りたい」と思ってしまう感情そのものは防げないから、「知りたい」と思った時にどこまでの「深度」で「知る」のか、その有限性の範囲を細かく設定することで、どうにかするしかないのかなあ。

 このままだと2018年もバタバタすることになりかねないので、この点についてはアイディアを大募集してます。

 

できたこと 

できたこと1:  イベントの主催

 自分主催のイベントをたくさん開催した。さっきも書いたけど、「やってみたいことを思いついたら、とりあえず手と足を動かして実現させてみる」という意味でのアウトプットは、かなりできた。そういう意味では、今年はフットワークが軽かったと思う。

 「活動やイベントは個人単位でもできる」というのが、私のテーマの一つにある。よく、活動は集団や組織に入らないとできないと思い込む人がいるけど、私はそうじゃないと思ってる。やりたいことさえちゃんとあれば、極論一人でもイベントは開催できる。もしくは、やりたいことのヴィジョンが一致した相手と、その時々で手を組んで、イベントを共催することだってあっていい。やりたいことの規模が大きくなって手が足りなくなってきたら、その時に初めて組織化を考えればいい。大きな組織に入っていないと社会活動はできない、イベントも作れないという認識を壊したい気持ちはずっとあって、今年はそれを実践した年だったようにも思う。

 

 今年の私はほとんど「イベント屋」だったし、そう呼ばれた。たくさんのイベントを自分主催で開催した。今まで自分がイベントに参加者側としてたくさん参加してきたことによる、イベント運営に関する実践知の蓄積が、ここにきて生かされたような気もしている。その意味では、今までのイベント参加体験の集大成とも言える。

 具体的には、4月に「レロ会」、5月にTokyo Rainbow PrideのRainbow Weekの一環として「アイドル×LGBT=?」、9月に虹色どまんなかパレードのNagoya Rainbow Weekの一環として「アイドル×LGBT=? in Nagoya」、10月に「アラサーレズ(便宜上)の会」を主催した。

 特に「レロ会」は、私のここまでの人生の集大成だった。レロ会は、「レロの誕生日を祝うという建前で、人々が交流するオフ会」と公言していた。いわゆる誕生日オフ会である。最終的に、126人も来てくれた。これは本当に財産だと思う。首都圏からだけじゃなくて、長野とか群馬とか愛知とか三重とか広島とかからもわざわざこのためだけに来てくれた人がたくさんいた。ある参加者が、「レロさんの脳内を具現化したような空間だった」と言ってくれたのだけど、その通りだったかもしれない。さまざまなクラスタが来てくれた。そしてクラスタを超えたつながりも生まれた。もともとずっと、「人と人とをつなげる」ことをライフワークにして生きてる人間だったから、自分を軸として人が集まるオフ会を実現できたことは、本当に嬉しかった。「誰が来てもいい」という点のみに徹底的にこだわった。

 これらのイベントを通して、〈場づくり〉についてたくさんの経験ができた。自分なりのノウハウというか、押さえるべきポイントなどもわかってきた。とにかくまずは、誰に(どの層に)リーチしたいのか、そしてどんな性質の場を創りたいのか・場の目標は何なのかを、具体的なイメージが湧くまでしっかり考えることが、私のイベント作りの要だなと思う。

 

 話が少しずれるが、私のイベントは、概ね、半年前ぐらいに構想が練られ始める。4〜5ヶ月前には準備に取り掛かる。準備を始めるたびに、いろんな人に「ずいぶん先の話だね…」と言われてきた。もっと短い時間でもいいものを作れる人はいるのだと思う。でも、私はまず日々がバタバタしていてなかなか腰を据えてイベント準備だけに取り組むことができない。だからこそ、余裕を持った日程設定にして、ラップを細かく切って、日々ちょっとずつ準備を進める必要があった。でも、そのおかげで、長い期間準備している間には細かな心配事も思いつき、それをクリアするよう心がけたので、運営上のうっかりミスみたいなものはかなり防げたように思う。もちろん、全方位に対して完璧に配慮された運営などができたとは思っていないけど、反省点は次にイベントをやる時に活かすしかない。

 

 来年(2018年)は、博士論文計画書提出などもあるので、イベントに関してはペースダウンすると思うけど、今後もまたやりたいことが思いついた時には、できる範囲でイベントを開催していきたい。アイディア募集中。

 とりあえず、2021年(私が30歳になる年)にはまたレロ会をやるので、みなさんぜひご参加ください!(宣伝) 次はさらにさまざまな人に来てもらえたらいいな、と思う。参加者有志にいろんなコーナーを受け持ってもらって、コンテンツの紹介をしあうのも楽しそうだなと思ってる。

 

できたこと2: 月1の名古屋遠征

 いろんな縁があって、いつの間にか、名古屋にたくさん行くようになっていた。今では、だいたい月に1回のペースで名古屋に遠征している。

 

 一つ大きかったのは、名古屋あおぞら部との出会いだ。あおぞら部は、名古屋のコミュニティセンターなどで、お昼に、お菓子を食べながらお話する会。高校生や若年層も気軽に来れること、LGBT当事者のみならずセクシュアルマイノリティについて知りたい・考えたい人も来られることが特徴だ。きっかけは、名古屋あおぞら部部長のりぃなさんが、5月に東京でやった「アイドル×LGBT=?」のイベントに来てくれたこと。そこで、「そういえば、名古屋には友達もたくさんいるのに、名古屋のLGBTコミュニティって行ったことなかったな」と思い、思わず「あおぞら部行くね!」と宣言した。そこから、名古屋のLGBTコミュニティとのネットワーキングが始まった。

 それから、実はそれとは別に、しばらく前のTRPでNSM=(名古屋のLGBTアイドル)と知り合っていた。そんな縁もあって、名古屋のレインボーパレードである「虹色どまんなかパレード」(通称虹パレ)に、親友氏と初参加した。

 初参加しただけでなく、虹パレとタイアップしたNagoya Rainbow Weekのイベント期間中に、「アイドル×LGBT=? in Nagoya」を開催することができた。あおぞら部部長のりぃなさんと共催し、ゲストにNSM=のみなさんを呼んで、レロ×りぃな×NSM=でトークセッションすることもできた。さらに、そこに、今までSKE48のヲタク活動で出会った人たちもたくさん来てくれた。いろんなクラスタが一堂に介して、全部がゆるやかにつながっていくことを感じた。幸せだった。

 

 さらに、名古屋のメイドカフェ・コンセプトカフェ界隈との出会いもあった。「名古屋ロングスカートメイド喫茶」という企画が11月3日〜5日に東京で行われ、そこに名古屋のいくつかのメイドカフェからメイドさんがいらして、お給仕してくださった。経営者の方もいらして、色々とお話ができた。それ以来、名古屋に行くたびに、コンセプトカフェにも少しずつ寄るようになった。また、それとは別に、夏頃に友人と「王立アフィリアダイニング」を訪ねた。それ以来アフィリアにも時々行くようになった。研究の意味でも(私の現在の研究テーマはメイドカフェ社会学です)、名古屋のメイドカフェ・コンセプトカフェ界隈には秋葉原とは違った特徴もあり、興味深い発見をもたらしてくれた。

 

 そして、もちろん、東海地方に住む友達たちにはこの1年、本当にお世話になった。本当にいろいろな人が、名古屋に行くたびに私に会ってくれたり、ドライブに連れて行ってくれたり、コメダ珈琲で駄弁ってくれたり、バーで飲んでくれたり、泊めてくれたりした。私は全国に友達がいて、そのことはとても幸せだなあといつも思うのだけど、東海の友達は数も多いし、濃度も濃くて、特別な感慨がある。きっと2018年もお世話になると思います。よろしくお願いします。

 

できたこと3: 東京ディズニーランドホテルがついに家になった

 私は、特定のお店に通って関係性を作るという営みが、どうも昔から好きだ。今までには、東京ディズニーシーにあるバー「テディ・ルーズヴェルト・ラウンジ」や、担々麺のお店「香家 三田店」で、そうした営みを行ってきた。

 今年は、久しぶりにそういう自分にとってのサードプレイスを発掘した。それは、東京ディズニーランドホテル、特に「ドリーマーズ・ラウンジ」だった。

 

 ドリーマーズ・ラウンジには昔から時々行っていた。ここで有名なメニューは東京ディズニーランドのイベントごとに内容が変わる豪華な「アフタヌーンティーセット」。それも好きだけど、私はたいていいつももっと気軽に、730円でモルゲンタオというお茶(マンゴーフレーバーの緑茶…らしいけどマンゴーっぽさを感じたことはあんまりない)を永遠に飲んでいた。ここのいいところは、同じ種類であれば、お茶とコーヒーのおかわりが無限にできるところ。お湯を継ぎ足すんじゃなくて、茶葉ごと替えてくれる。それで何時間いても、730円。ふかふかの椅子やソファ付き。もう、最高に仕事がはかどる。ミーティングもはかどる。ふつうに友達とおしゃべりするのにも、リラックスしすぎて時間を忘れる。サードプレイスとしてこんなに適格なところは他にあんまりないんじゃないかと思うぐらい。

 今年は、結構頻繁に足を運んだせいか、キャストの皆さんとたくさん顔見知りになった。ケーキセットで新作ケーキが出るたびに、食べては、感想を交換しあった。なぜかほとんど座る人がいない、ドリーマーズ・ラウンジのカウンター席にも座るようになった。ソムリエキャストにカクテルを作ってもらったり、飲んでみたいお酒の話をしたり。「ガリアーノを飲んでみたい」と言ったら、ガリアーノを棚から出して用意してくれていたこともあった。さらに、カウンターでいつものようにキャストさんと話していたら、隣の席に一人で来ている女性ゲストが座って、パークについてのお話しなどをキャストさんとされていたので、どうしても話したくなってしまい、話に参加。そのうち、仲良くなって、名刺交換もさせてもらって、メル友になった。職業も年齢も全然違う、東京ディズニーリゾートでだからこそ起き得た出会い。こうしたたくさんの出会い(と美味しいご飯と紅茶とふかふかの椅子)によって、結果的に、ここに来ると、家と同じような気楽さで、ある意味家よりもリラックスして居られるようになった。

 

 他にも、私が大好きな食材を使った大好きな味付けのレストラン「エッセンス・オブ・スタイリッシュ・キュイジーヌ カンナ」でも、定期的にご飯を食べたり、キャストさんのスペシャルオリジナルカクテルを好みに合わせて作っていただいたりして、非常に素敵な時間を過ごせた。

 

 2018年も定期的に東京ディズニーランドホテルノマドワークしたりキャストさんとおしゃべりしたりしたいと思っている。アフタヌーンティー、是非一緒に食べに行きましょう、みなさん!

 

できたこと4: スターバックスリザーブを活用したコーヒージャーニー

 スターバックスはコーヒープレスサービスをメインに押し出していた20年前ぐらいからずっと好きだったし、スターバックスリザーブという限定店舗のみで希少な豆を使った珈琲を提供するサービスも、時々は利用していた。しかし今年、明確に、スターバックススターバックスリザーブのファンになり直した気がする。

 

 とにかく、コーヒーパスポートとともに歩んだ一年だった。新しいコーヒーを飲んでは、コーヒーパスポートにそのコーヒーのシール(は店員さんに言えばもらえるのです。是非)を貼り、ひたすら感想をメモした。いろんなコーヒー豆を飲み比べる、まさに「コーヒージャーニー」だった。
※コーヒーパスポートをご存知ない方へ。無料でもらえる素晴らしい冊子なので、是非お近くのスターバックス店舗で手に入れてください。これ一冊で、スターバックスで売っているコーヒー豆の種類、産地や加工法による味の違い、コーヒーの基本的な淹れ方や楽しみ方、フードペアリングについてなど、大体分かります。

 それから、スターバックスリザーブでは、コーヒー豆ごとに、シールだけではなく、説明カードも作られている。表面はそのコーヒーをイメージしたキーヴィジュアルが描かれており、裏面には名前と産地のみならず、生産者の名前や、どんなふうに生産され加工されてきたのかについての「コーヒーストーリー」が記載されている。この説明カードも毎回飲むたびに集めた。集めすぎてコーヒーパスポートに挟みきれない量になってしまったので、ポストカードホルダーを買ってそこに整理して入れている。

 

 もちろん、スターバックスリザーブバーにもとてもお世話になった。特に東京ミッドタウン店には何度も足を運んだ。スターバックスリザーブバーは、コーヒープレス、クローバー、プアオーバー(ハンドドリップ)、サイフォン、エスプレッソと多彩な抽出方法を選んで、リザーブの希少な豆を楽しめる場所である。それから、リザーブ豆をエスプレッソ抽出したものを使って、キャラメルフォームマキアートやエスプレッソトニック、ホームメイドバニララテなんかも作ってくれる。さらに、ナイトロコールドブリューコーヒーと言って、窒素を入れてクリーミーになった水出しコーヒー(ビールのような見た目)も、リザーブの豆で淹れてくれる。

 リザーブバーで何よりも楽しいのは、カウンターでのブラックエプロンのPTRさん(店員さん)たちとの会話だ。「この豆を飲みたいんですけど、どの抽出方法だとどんな味になりますか?」「今こんな気分なんですけど、どの豆がおすすめですか?」など、「コーヒー豆と抽出方法を選ぶ」という行為を皮切りにいろいろな話を繰り広げることができる。

 また、同じコーヒー豆を違う抽出方法で2つ同時に頼んで飲み比べるのも楽しい。友達と一緒に行った時など、是非試してみてほしい。PTRさんに言うと、ちゃんと飲み比べ用に半分ずつカップに分けて注いでくれたりもする。意外なほどに味が違って、びっくりすること請け合い。

 スターバックスリザーブバーは、「コーヒー体験」をコンセプトにしたテーマパークのようでもあると思っている。コーヒーが飲める人は誰でも、是非一度騙されたと思って行ってみてほしい。さまざまな豆と抽出方法が用意されているから、どんな人にも満足してもらえると思う。初心者にも、PTRさんがすごく丁寧に説明してくれるので、実は初心者にこそおすすめ。

 

できたこと5: 各種コンテンツへの入門

 今年、Aqoursアイドルマスター ミリオンライブ!TrySailPerfumeなどさまざまなコンテンツに入門し始めることができた。この数年、バタバタしすぎていて、新しいコンテンツに触れることがまったくままならなかったから、本当に嬉しかった…。

 これは、ひとえに人々の布教力のおかげである。本当に、皆様の布教力に感謝。例をあげれば、あるコンテンツの楽曲がすべて入ったウォークマンを無期限で貸してくれる人がいたり(しかも「レロへのおすすめプレイリスト」まで作ってあった)、私がTwitterでちょっと興味があると書いたらすぐに「ライブ行きませんか?」「鑑賞会しませんか?」と誘ってくれる方がいたり、あるアーティストの全アルバムについて一つ一つ聴きどころ解説の文章を書いてテキストデータで投げつけてきてくれる人がいたり(文字数数えたら2000字以上あった)、とにかく人々の「布教」に対する熱量がすごかった。

 

 私は、コンテンツ入門は、「スパルタ式」が正しいと今は思っている。正しいというか、少なくとも私にはそれが向いてるし、きっと多くの人にとってもそのほうが楽なんじゃないかと思う。どういうことかというと、私の場合、今までは、それまでに発売されたCDやDVD/BD、放送されたアニメなどをすべて観て、現在までのそのコンテンツの文脈を「勉強」(予習)しきってから現場に行こうとしていた。これを今年はやめてみた。というか情報に追いつけなさすぎて、やめざるを得なかったというほうが正しいけど。

 むしろ、まず「現場」に行く。そして「現場」を体感する。「現場」にかじりつこうとする。これは、哲学や社会学の勉強をしようとする時、とりあえずまず「原典」「原著」に当たってみるのがいいという論と似ている、というかほぼ同じだと思う。もちろん、最初に「現場」や「原典」に接触する段階では、ほぼ何もわからないかもしれない。それでも、一回そこで「原体験」を作っておくのは大事だと思っている。わからなくても、何かしら感じることはある。そこで感じたことをもとに、さらに「現場」「原典」を深く味わうために「勉強」をする、という順番のほうが効率的だと思った。「現場」「原典」に触れると、「あまり文脈を知らない状態でも感じられる『良さ』」に出会う。それが、勉強を続ける、若しくは始めるモチベーションになる。ちゃんと勉強して、文脈を知ったら、もっとたくさんの「良さ」が分かるようになる。その快楽のために、私たちは「勉強」するのだ。

 具体的には、ラブライブ!サンシャイン!!の1期アニメだけを観た状態でAqours2ndライブのライブビューイングに行ったり、TrySailのメンバーとキャラが大まかに分かり代表曲をいくつか知ってるぐらいの状態でミュージックレインフェスティバルに行ったりした。そうした「初現場」で衝撃を受けて、勉強に本腰が入り、今ではAqoursファンミーティングのライブビューイングにできる限り全公演行くようになり、TrySailのメンバーの一人である雨宮天さんの2ndソロライブに一人で参戦するようになり、TrySail2ndライブツアーは千葉公演と名古屋公演に行くことが決定した。

 

 コンテンツを好きになると、どうしても時間とお金がかかる。だから、真剣に追うコンテンツはどうしてもたくさんは増やせない。でも、2018年も、時間とお金の制約の中で、できるかぎり気が向くままに惹かれたコンテンツを気軽に見ることができたら、と思っている。別に、「全部のメディアを追わなければファン失格」というわけでもないのだから。

 

できたこと6: 執筆・取材・学会発表

 今年のイベント形式以外でのアウトプットはこれらだった。

 まず、執筆したもの。

  • 劇団雌猫の同人誌『悪友 vol.2 恋愛』に匿名で寄稿した。匿名ではあるけど、私が書く恋愛の話なので、分かる人にはすぐどれが私の文章だかわかってしまったと思う…。今でも通販で買えるので、興味ある方は是非。

    aku-you.booth.pm

  • アジア女性資料センターが刊行している『女たちの21世紀』no.91(特集:メディア・セクハラ)に、笹川あゆみ編著『ジェンダーとわたし―〈違和感〉から社会を読み解く』の書評を寄稿した。
  • 昨年『Rhetorica#03 | SPECIAL FEATURE: FICTION AS NON-FICTION』に寄稿したレビュー「異国のミニチュアとしての東京ディズニーシー」がWeb記事化された。無料で読めるので、よかったらこちらからどうぞ。

    rhetorica.jp

  • 昨年書いた論文が2本査読を通過して、学術雑誌に掲載された。
    • 一つは、『哲学』第138集に掲載された、「フェミニストABRというパフォーマティブな共働─その系譜と展開─」。研究室で取り組んでいる、Arts-Based Research (ABR)という新しいリサーチパラダイムフェミニズムの親和性について考察したもの。以下から無料で読めます。

      koara.lib.keio.ac.jp

    • もう一つは、より自分自身の研究関心に近いところで、『新社会学研究』2号に「フェミニズムを生活者の手に取り戻すために─『性の商品化』に対する現代女性の『気分』の分析を通して」という論文を掲載していただいた。修士論文の一部に大幅な加筆修正を施して再構成したもの。一般書店やAmazonでご購入いただけます。

      新社会学研究 2017年 2号

 次に、取材していただいた媒体。

  • ハフィントンポストからのインタビューを、イベント「アイドル×LGBT=?」を開催する際に、受けた。非常に丁寧に取材していただき、「女性アイドルへの思いでつながるLGBT 『自分の居場所を見つけた』」というタイトルで掲載された。これも無料で読めるので、よかったら是非。

    www.huffingtonpost.jp

  • AERA』2017年6月12日号(特集:LGBTブームの嘘)の「教育 小中学校教員の半数以上が『LGBT知らない』」という記事の中で、コメントを使っていただいた。名古屋あおぞら部に参加していた時に取材していただいたもの。

    publications.asahi.com

 最後に、学会発表。

 2018年は、自分自身のメインの研究であるメイドカフェにおける女性主体の経験について、もっと論文や学会発表の形でアウトプットできるように頑張りたい。

 

できたこと7: 人との付き合い

 今年も、いろんな人と、いろんなことを一緒にした。実は私は、基本的には、一人で何かをするのが好きだ。行動の基本単位が「一人」だし、興味を持てば躊躇なく一人でどこにでも行く。一人で高価格帯のレストランに行ったり、全く知らない現場に行ったりすることも辞さない。でも、大切な人たちと何かを共有することには、またまったく別の意味や楽しみがある。

 

 人との付き合い方に関しては、今年、「会いたくない人になるべく会わない。会いたい人にはできる限り会いにいく。」という目標を立てた。最初の目標はもっと恋愛に寄っていて「フリーの人と出会い直しする(今のところできてない)」だったけど、これは今年遂行するのはわりと積極的に諦めた。フリーかどうかなんかよりも、会いたいか会いたくないか、仲良くなりたいかなりたくないかのほうがずっと大事だ。たとえ、それが「恋愛」には直接的につながらないとしても。

 この目標の達成率は、60%といったところか。少なくとも今までに比べたら、ずいぶんたくさん誘いを断った。それでも、「行かなければよかった」とあとから思った場が0かと言ったら、そうではない。この点は2018年に反省的に活かしていきたい。

 

 それに関連して、こんなプライベートで繊細な話、普段は書かないけど、せっかくの総括記事だし少しだけ書き足しておこうと思うことがある。

 私は、確かに大事な人たちには「時間を作る」けれど、その「大事な人たち」は非常に少ない。もちろん、グラデーションはあるし、幅を広く取ればそれなりの人数はいるかもしれない。でもやっぱり、知り合いの数とかを鑑みて相対的に考えたら、「非常に少ない」と思う。
 そして、私の「大事な人たち」は、基本的に自分から求めてくることをしない人たちだ。だからこそ、(タッチすることがその人にとってその時かえって負担になってしまわないかも含めて)いつでも注視して、必要に応じてアクションを取ったり取らなかったりできるようにしていたい。私の限られたリソースは、そういうことをするためにほとんど使っていたいのだ。

 そのためには、ある程度のリソースを常にどこかに予備として空けて持っておく必要がある。だから、大事な物や事や人をできる限り絞りたい。「人間ヲタク」なので、放っておくとどうしても無限に人に興味を持ってしまう。でも、それでは、本当に大事にしたい人を大事にできないことに気付いた。だから、突然の知らない人からのDMやいわゆる「クソリプ」に返信しない自分になりたい。

 

 あと、今年一個気付いたことがある。それは、私は自分から人と距離を詰めるのは好き(とはいえ、めちゃくちゃに人を選ぶけど)なくせに、人から距離を詰められるのは苦手みたいだということ。というか、人は、人と距離を詰めるということが、多くの場合あまり上手くはないらしい。自戒も込めて。

 だからこそ、数年スパンで付き合っていける友達は本当にありがたい存在だなと思う。1年〜数年かけてゆっくり築いてきた関係性には、独自の尊さがある。この間ある友達と電話していた時に、「レロさんはこの先何十年も付き合っていく相手だと思ってるから」と言ってくれて、泣いた。そんなふうに、ずっと、長く、ゆるやかに人付き合いを続けていける、そういう未来があると互いが思えている相手がいることは、とても幸せなことだと思う。

 今年は、取り戻した縁もあった。というか、今回の場合は私が取り戻したのではなく、向こうが私に会いに来てくれた。謝ってくれて、私も謝った。それぞれに思うところをポツポツと1時間ぐらい話した。Twitterをフォローし合い直した。そして今がある。4年間ぐらい、ああだこうだといろいろあった相手だったけど、そんな相手と今、とても穏やかに話せるようになっていることに、心の底から感謝している。「4年経つと、人はそれぞれに成長したりするし、関係性もどんどん変容していくのだ」「取り戻されるべき縁は、いつの日か取り戻されるものだ」ということを、肌で感じることができた、大きな経験だった。

 それはつまり、今なんらかの事情で距離が離れている人たちとも、大きなスパンで見たら、そうなれる可能性があるということだ。

 関係性はいつだって、揺れ動くし、幅があるし、そのことを恐れてはいけない。むしろきちんと眼差していたい。そうした関係性の「機微」にこそ、人付き合いの本当に肝要な味わいがあるのだから。それは、二者関係でもそうだし、三者関係でもそう。どれだけ「ゆっくり」アセスメントするか。できるか。そして、互いが、互いの関係性の機微を注視して、距離を測りあいながらも、決して「あきらめない」ことが、長く緩やかにずっと付き合っていけるような関係性の創造と獲得に繋がるのだと思う。

 2018年も、自分が本当に大事にしたい相手と、そうした関係性を創っていきたい。新たにもだし、継続的にも。

 

結び

 他にもいろいろあったけど、書ききれないのでここで総括は終わり。

 2018年もTwitter等を通して、みなさんとたくさんお話や意見交換、情報交換をできたらと思います。よいお年をお迎えください。そして、来年もよろしくお願いいたします!